戦国時代『応仁の乱』で主君の落ち目に乗じて下剋上を果たした波多野全慶の野望 (5/6ページ)

Japaaan

波多野氏略系図

天文5年(1536年)…波多野家次(いえつぐ。全慶の孫)が尾張の大名・織田信秀(おだ のぶひで)と戦い、討死。

永禄元年(1558年)…波多野忠基(ただもと。家次の子)は松平清康(きよやす。徳川家康の祖父)に従い、今川義元(いまがわ よしもと)との戦いで討死。

永禄3年(1560年)…波多野正茂(まさしげ。忠基の子)は桶狭間の合戦で討死。

天正3年(1575年)…波多野忠重(ただしげ。忠基の甥)が長篠の合戦で武功を立て、奥平信昌(おくだいら のぶまさ)より知行300石を賜る。

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