江戸時代の京都を守ったお城は二条城ではなく、2つの浄土宗寺院だったー2023年大河『どうする家康』こぼれ話【後編】 (2/4ページ)

Japaaan

この時、家康は有事の際に機能できる城郭として、「金戒光明寺」と「知恩院」を整備したのです。

金戒光明寺・三重塔(写真:高野晃彰)

京都は、東・北・西の三方を山に囲まれた盆地です。「金戒光明寺」と「知恩院」は、京都の東側の高台に旧東海道(三条通り)を挟むように建ちます。

城郭は、有事の際に大軍が移動する街道や交通の要衝を抑える場所に築かれることが多いのは周知通りです。

「金戒光明寺」と「知恩院」は、旧東海道に睨みを利かせ、京都への侵入を防ぐ役割を担っていたことは間違いありません。

知恩院・三門から西方を見下ろす(写真:高野晃彰)

また、城郭は、大軍を収容するという機能が求められました。「金戒光明寺」「知恩院」は、ともに広大な境内を有します。そのため有事の際には、境内に兵舎などを設営し、軍勢を収容することを想定していたのです。

では、ここからは両寺院についてお話ししましょう。

北方・西方からの敵の動きを監視する「金戒光明寺」

「金戒光明寺」は、浄土宗の大本山で、法然上人が比叡山を降りた際に、草庵を結び浄土宗最初の寺院としました。

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