チンドン屋って知ってる?江戸時代に始まり今も再評価が進む貴重な商業文化 (3/4ページ)
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1935年頃、現山梨県都留市の商店開店祝いでのチンドン屋(Wikipediaより)
少人数でも充分な音色を出せるよう、鉦と締め太鼓、平胴太鼓が一つになった太鼓のセットが考案されました。
これがのちに「ちんどん太鼓」と呼ばれるようになります。「チンドン」という名称の由来は、この「チンチン」と鳴る鉦の音と「ドンドン」という太鼓の音からきています。
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この頃から徐々に東西屋と広目屋は「チンドン屋」と呼ばれるようになり、昭和初期には知名度も高まりました。
現在も、チンドン屋のことを「披露目屋」「広目屋」「東西屋」と呼ぶ地域があるようです。
戦後は下火に、令和でまた脚光を浴びる戦時中は大っぴらに宣伝もできず、1941年には各種大道芸とあわせて禁止されてしまったチンドン屋ですが、戦後の経済成長にあわせて、商店や映画の宣伝に使えるということで、再びチンドン屋方式の宣伝が脚光を浴びるようになります。
数人だった楽隊は10人を超え、ブラスバンドを編成したものも登場。