新興宗教と無差別殺人に共通する孤独と形骸化している伝統宗教

心に残る家族葬

新興宗教と無差別殺人に共通する孤独と形骸化している伝統宗教

最近世間を騒がせている2つの話題が「新興宗教」と「無差別殺人」である。その共通点は「孤独」である。社会から孤立された環境に置かれたある者は、宗教に救いを求め、ある者は「死刑になりたい」ために他者を巻き添えにして強行に及ぶ。彼らは魂としては既に孤独死の状態にあるといえる。

■孤独の暴走

法務省の調査では、無差別殺傷事件を起こす要因として社会的に孤立していたという共通点があることが分かったとしている。家庭不和であったり、友人がいない、いても友人関係が希薄など。そうした状況で誰にも必要とされていないとの疎外感や孤独感、虚無感などに支配され、世間から隔離された鬱積が暴発したものと考えられる。

こうした事件で増えているのが死刑を望んで犯行に及んだケースだ。京王線の電車内で発生した死傷事件(2021年11月)の犯人は「死刑になりたかった」と話しており(1)、2022年8月、渋谷で親子を刺傷させて女子中学生も同じ供述をしている(2)。
死にたいが自殺する勇気はなく、その手段として死刑を望んだのだろうか。彼らは好きで孤独に陥ったわけではないとすれば、ひとり静かに死ぬのは耐えられなかったのかもしれない。2021年11日の大阪雑居ビル放火殺人事件の犯人は「死ぬときくらいは注目されたい」と検索していたという(3)。

逮捕、死刑とは自分に世間が関わってくれるとみることもできる。彼らは強引に世間に関わろうとする。それは最後の社会参加なのだ。被害者こそ迷惑な話だが、そういうことは考えられなくなるのだろう。孤独故に彼らには他者は不在である。そして人の気持ち、命の重さを慮れないからこそ孤独な状況になる。その原因は孤独な状況が生む。孤独のスパイラルはこうして続いていく。

(1)NHK NEWS WEB 21年11月1日配信
京王線 逮捕された24歳容疑者『人を殺し死刑になりたかった』
(2)NHK NEWS WEB 22年8月21日配信
渋谷 母子刺傷事件 逮捕の中3少女『死刑になりたかった』
(3)文春オンライン 22年1月22日配信
『死ぬときくらい注目されたい』…“大阪放火殺人犯”がスマホに残していた緻密すぎる計画

■個人主義と「コミュ力」の格差

孤立状態になる背後には個人主義による社会変化がある。個の自由を重んじ、独自のネットワークで人間関係を確立すると、地域コミュニティのつながりを疎ましく思うようになる。隣近所の住人の顔すら知らないのは当たり前の時代になった。婚姻率、出生率の低下の原因は多様であり単純には言えないが束縛を嫌い、自由を求める人たちの増加も要因のひとつと思われる。

このような社会では個人のコミュニケーション力の優劣が格差を生むことになる。地域コミュニティにも参加できず、独自の人間関係を構築することもできない人は孤立状態に陥る。いわゆる「コミュ障」「陰キャ」などという言葉が一般化しているが、自虐ネタとして使うならともかく、リアルにそうした状態になった場合は深刻である。

サルトルは「人間は自由の刑に処せられている」と言ったが、社会に放り出されても何もできない人は内へ内へと追い込まれてしまう。それでも地域コミュニティが機能していた時代は周囲が声をかけてくれたが、現代ではそれも少なくなり、物理的にコミュニティから阻害され、自宅での孤独死という結末が待っている。

調査では無差別殺傷事件の要因のひとつとして社会的孤立を挙げ、孤立を防ぐことは事件を防ぐ重要な意味を持つとしている。そのために機能を発揮する、ひとつのシステムとして宗教がある。しかしそのシステムの衰えと弊害も目立っている。

■形骸化する伝統宗教、新興宗教とカルト

孤独な状態から宗教に救いを求める人がいる。宗教は終末期の患者など、社会とのつながりが絶たれた人に強力な機能を発揮する。宗教には神仏という絶対的存在がいるからだ。それは自分を包み込み、安心させてくれる存在である。末期ガンなどによる終末期患者にとって、信仰は死後の自分を包んでくれる安心を与えてくれる。同様に孤独という魂の末期患者といえる人たちにも信仰は最後の支えになる。

しかし、伝統的な宗教、仏教やキリスト教は求心力を失いつつあるのが現状だ。かつて地域のコミュニティの中心にあったのは冠婚葬祭を司る寺と神社であった。しかし形式、儀礼を嫌う個人化の波に飲まれ、影響力は低下した。最近では除夜の鐘の音を嫌う近隣住民からクレームが寄せられる有様となっている。

一方、いわゆる新興宗教は伝統宗教と比べ、カルト的な教団が多い危険がある。カルトは孤独者を家族友人らから切り離し、さらに社会から孤絶させて洗脳する。良心的な新興宗教もあるが伝統宗教に比べリスクが大きい。安倍元首相殺害犯人の母親は億単位の布施を教団につぎこんだという。その結果、経済的に破綻し家庭は崩壊。犯人の怒りの矛先は教団と関係があったとされる元首相に向いた。母親の教団への依存の理由は、夫や長男の自殺などにより孤独に陥ったことにあるようだ(4)。

(4)Business Journal 22年7月25日配信
『統一教会に申し訳ない」山上容疑者の母親、教会が疑似家族化・理想化の可能性

■伝統宗教に出番はあるのか

釈迦がある村で托鉢をしている時、食物を配っていたバラモンから「あなたも田畑を耕しなさい」と言われた。釈迦は「私は心の田を耕す者です」と答えたという。かつて僧侶や宮司は地域コミュニティの中心で、悩みや苦しみの相談にも乗るカウンセラーでもあった。本来の宗教は「魂」の医学である。

「新興宗教」と「無差別殺人」は「孤独」という病理を浮き彫りにしている。彼らを「魂の孤独死」「魂の末期患者」と考えるなら、彼らこそ救われるべき存在であり、本来、伝統宗教が看過してはいけない問題である。しかしこれらの問題について、伝統宗教に期待する声などほとんどない。心ある宗教者に奮起を促したい。

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