戦地に駆り出された少年たち!白虎隊が自刃し悲劇の最期を迎えるまで【前編】 (3/3ページ)
会津藩単独では兵力・物量いずれにおいても圧倒的に不利で、たちまち窮地に立たされます。
それでも会津藩は、若松城(鶴ヶ城)を死守すべく若松へ通じる街道口に主力部隊を展開しますが、新政府軍の圧倒的な兵力には敵わず撤退を余儀なくされてしまいます。
さらに、会津藩は日橋川にかかる十六橋を破壊して新政府軍を足止めしようとしますが、それも間に合わず渡河されました。そして、8月22日には東側の藩境である母成峠も突破されました。
母成峠を越えて猪苗代湖畔を通り、戸ノ口原(会津盆地へと向かう山裾にある高台)を抜けるとそこはもう若松城下です。何としてでも戸ノ口原で敵を食い止めなければなりません。
こうなっては残った兵力を総動員するしかありません。藩主の松平容保は、本来なら前線に投入する予定のなかった白虎隊にも出陣命令を下さざるを得なくなりました。これが、白虎隊の悲劇の始まりでした。
次回、後編に続きます
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