【現地へ行ってみた】鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝の落馬の地とされている地域はどんなところなのか? (1/2ページ)

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【現地へ行ってみた】鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝の落馬の地とされている地域はどんなところなのか?

源頼朝といえば、鎌倉幕府の初代将軍にして、武家文化の礎を作った人物といっても言い過ぎではない人物ですが、意外なことに彼の死因については鎌倉幕府の唯一の公式な記録である『吾妻鏡』にも詳しく触れられていません。

同書で記録されている頼朝に関する記録は、1195(建久六)年12月22日に頼朝が旧友の元へ遊びに行った際のものです。一方、他の記録から見ても間違いないであろう頼朝の命日である1199(建久十)年1月13日についての記載は残されていません。

謎の多い頼朝の死因については、従来より様々に議論されていましたが、現段階では、落馬が元で怪我をして寝込んだ、あるいは落馬の原因となる病を発症したというのが有力なようです。

現在、源頼朝が落馬したとされる地域は、神奈川県藤沢市にあるJR辻堂駅南口から歩いて10分ほどの場所に比定されています。

頼朝公 落馬地の説明板

頼朝が落馬したとされるの辺りを、友人と少し歩いてみました。駅が近いために住宅や会社が立ち並び、バス通りと並行に走る路地で人通りはありますが、残念ながら、当時の様子をうかがわせる痕跡は一切残されていません。

ただ、この道を海岸線と平行に西に進めば、1198(建久九)年12月27日に催された相模川の橋供養の場所となり、東に向かえば鎌倉までの帰路となります。昔から人の往来が多い地域ではあったようです。

落馬の地より少し歩くと集落がありました。「辻堂村」です。

村の中心である鎌倉道との十字路にある寺は海龍山観音院宝泉寺(神奈川県藤沢市辻堂元町3)。

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