雷、粟、岩…バリエーション豊富な日本最古のお菓子「おこし」の歴史を辿る【前編】 (2/3ページ)
そして江戸時代初期の料理書『料理物語』や、百科事典『和漢三才図会』には糒・おこしの製法が記されています。この頃になると穀物と水飴などが調達できれば庶民でも作れるようになり、各地でおこしが作られ、庶民的なお菓子へと変わっていきました。
その中でも特に有名なのが、大阪の「粟おこし」や「岩おこし」、江戸の「雷おこし」です。
「栗おこし」の誕生大阪では「粟おこし」が大阪名物として知られるようになりますが、1752(宝暦2)年に創業した「つのせ」により現在の粟おこしの形態が確立されたと言われています。
それまでのおこしは原材料に粟や稗を使っており、形状も手で握ったつくねのような形や、竹筒に入れた形状をしていました。
「つのせ」初代清兵衛は、原材料に米を用い、その米をあえて細かく砕いて粟のような形状にして板状に延ばしたものを「粟おこし」と銘打って大々的に販売し始めたのです。