隻眼・隠密・大剣豪…柳生十兵衛の生涯と数々の「伝説」の真相をさぐる【前編】 (2/3ページ)

Japaaan

そういえば、青山剛昌の代表作『YAIBA』でも柳生十兵衛が登場しますが、普段は義に厚くカッコイイのに、酒を飲むとガラの悪い狼に変身するという特性がありましたね……。

さて、1年後には十兵衛の蟄居も解けましたが、その後の再出仕は許されず、彼は江戸を離れて故郷の柳生庄に引きこもります。

柳生庄では、祖父の石舟斎や父の宗矩の口伝および目録を研究し、稽古を重ねて「柳生新陰流」兵法の研鑽に明け暮れていたようです。

祖父の柳生宗厳(石舟斎)が両断したという伝説が残る「一刀石」

また、この時期に祖父の門人を訪ねて武者修行をしながら諸国を廻っていたとも言われており、このことが後に多くの講談や創作物の材料となりました。

寛永14(1637)年になってようやく再出仕が許された十兵衛は、12年ぶりに江戸に出仕します。

江戸城書院番から2代目藩主へ

翌年、家光に重用されていた異母弟・友矩(とものり)が病により出仕できなくなったため、代わりに十兵衛が江戸城書院番に就任しました。

江戸城書院番とは将軍直属の軍団で、江戸城内の警備や江戸市中の巡回、将軍外出時の随行などを務める役割です。

また十兵衛は剣の達人で、その実力は父をも凌ぐと言われていたため、家光の剣術指南役としても活躍しました。

寛永16(1639)年には、家光の御前で兵法を披露しています。この時の相手は宗矩の筆頭高弟・木村助九郎友重と、同母弟の宗冬でした。

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