隻眼・隠密・大剣豪…柳生十兵衛の生涯と数々の「伝説」の真相をさぐる【前編】 (3/3ページ)
また寛永19(1642)年には、柳生庄で収集した資料や、書き溜めていた草稿などを元に、流祖である上泉信綱からの術理をまとめ上げた代表作『月之抄』を執筆しています。
そして正保3(1646)年に父・宗矩が死去すると、遺領は家光の裁量により兄弟で分領されることにとなります。
十兵衛は8300石を相続して家督を継承しますが、石高が1万石を下回ったため、柳生家は大名から旗本の地位に戻ることになりました。そのため十兵衛は大名ではありませんが、便宜上「柳生藩2代目藩主」とされています。
しかし、彼が藩主だった時期はごく短いものでした。その後については後編で説明します。
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
