一幡と善哉(公暁)だけじゃない!源頼家「第3の女」が産んだ栄実と禅暁【鎌倉殿の13人】 (3/4ページ)
物心つかない内から両親と引き離され、孤独な少年時代を過ごした禅暁。修行三昧の日々を送っていた建保7年(1219年)1月27日、叔父の源実朝が異母兄の公暁に暗殺されると、共謀の疑いをかけられてしまいます。
凶行に及んだ公暁。親の仇とは言うが、逆恨みもいいところである。
「……お迎えに上がりました」
同年閏2月5日、上洛した二階堂行光(にかいどう ゆきみつ。二階堂行政の子)に伴われた禅暁は、どこへともなく「下向」していきました。
……二月廿六日前信濃守行光入洛閏二月五日召具禅暁闍梨 故頼家卿息 下向……
※『光台院御室伝』建保7年(1219年)2月26日~閏2月5日【意訳】2月26日に上洛してきた二階堂行光(前信濃守)は、閏2月5日に禅暁阿闍梨(頼家の遺児。闍梨は阿闍梨の略=同義語)を連れて下向した。
この時、行光が禅暁をどこへ連れ去ったのかは分かりませんが、翌承久2年(1220年)4月14日、禅暁は東山の辺りで殺されたということです。
十四日…(中略)…今夜禅暁阿闍梨 故頼家卿息 於東山邉誅之
※『仁和寺御日次記』承久2年(1220年)4月14日条
仁和寺を去ってから1年以上。殺すならさっさと殺せばいいものを、しばらく期間があいたのは、もしかしたら母&三浦胤義による助命運動があったのかも知れません。