追悼・アントニオ猪木さん...「永遠に燃える闘魂」79年の生涯で残した伝説をプレイバック! (2/3ページ)

日刊大衆

猪木さんは馬場さんのようにアメリカで成功はできなかったし、レスラーとして人並み外れて体が大きくはなかった。だから、同じことをやっていたら馬場さんに勝てないわけです」(前同)

 そこから生まれたのが、力道山流のケンカプロレスと、カール・ゴッチから学んだ英国流レスリング・テクニックを融合させた「ストロングスタイル」だった。

「馬場さんのプロレスを否定するために、武道精神や真剣勝負という価値観を導入した。そうして、日本独自のストロングスタイルを作り上げたんです」(前同)

■「新宿伊勢丹前襲撃事件」で怒りの猪木が誕生

 72年1月、猪木は自らの団体、新日本プロレスを旗揚げする。所属選手はわずか7人、苦難のスタートだった。旗揚げ直後に入社し、83年に退社するまで、猪木と二人三脚で新日本黄金時代を築き上げた新間寿氏は、こう言う。

「猪木には、“誰もやらないこと、誰もやれないことをやろう!”というまっすぐな野心がありました。その気持ちに私も共鳴し、新日本は動き出しました」

 当初、豊富な資金力と外国人招聘ルートを持つ馬場の全日本に遅れを取っていたが、大きな転機となったのが、73年5月に初来日したタイガー・ジェット・シンのブレイクだった。

 シンの名を一躍、有名にしたのが、猪木・倍賞美津子夫妻を新宿の路上で襲った「新宿伊勢丹前襲撃事件」だ。事件当日、仕事で名古屋にいた新間氏は、会社から「社長が襲われました!」との一報を受け、東京に飛んで帰ったという。

「あの事件は、私にも真相は謎です。

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