なにげに?歴史を動かした男「新田義貞」鎌倉幕府を倒した隠れた功労者の足跡を追う (4/4ページ)

Japaaan

南朝では他にも楠木正成や北畠顕家などの力を持った武将がいましたが、北畠のほうが義貞よりも位が高く、総大将であるはずの義貞は簡単に命令を下すことができませんでした。

北畠顕家卿肖像(萩生天泉画、霊山神社蔵・Wikipediaより)

さらに北畠は義貞を北朝の尊氏に差し出そうとするなど、全く上手くいきません。

正成は湊川の戦いで、顕家も石津の戦いでそれぞれ討たれてしまいます。

1338年、義貞も藤島の戦いにて37歳の若さで戦死してしまいました。その戦歴と実績に反して、当時から冷遇され不遇の位置にいたことが分かります。

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「なにげに?歴史を動かした男「新田義貞」鎌倉幕府を倒した隠れた功労者の足跡を追う」のページです。デイリーニュースオンラインは、新田義貞鎌倉時代武将カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る