鎌倉幕府第3代執権・北条泰時が眠る常樂寺。建長の根本とされた臨済宗の名刹【鎌倉殿の13人】 (2/4ページ)
その後、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が、泰時の孫で5代執権の北条時頼に招かれ住したことから禅宗寺院に改宗しました。
建長の根本として重要視された
道隆は、1253(建長5)年に、建長寺が創建されるまで常楽寺をベースに禅宗を広げたため、臨済宗建長寺派においては「常楽は建長の根本なり」と重要視され続けました。
泰時の法名から常楽寺と改める
『吾妻鏡』によれば、1241(仁治)2年6月27日、泰時は体調を崩したものの、1ヵ月余りで回復。しかし、この年の11月25日には、孫の経時を後継者に指名します。
翌年の1242(仁治)3年5月9日、泰時は出家して上聖坊観阿と号し、1ヵ月半後の6月15日に60歳で死去しました。直接の死因は過労に加え、赤痢に罹患したこととされています。