鎌倉幕府第3代執権・北条泰時が眠る常樂寺。建長の根本とされた臨済宗の名刹【鎌倉殿の13人】 (3/4ページ)
この年、前年の体調不安を抱えていた泰時に新たな心労の種が重なる出来事が起きました。それは、四条天皇崩御による後継者問題でした。京都の公家たちは、順徳天皇の皇子忠成王を推しますが、泰時は順徳天皇が後鳥羽上皇とともに承久の乱の首謀者であったことから強く反対し、後嵯峨天皇を推戴しました。
この措置に、九条道家・西園寺公経などの貴族たちの反発を招き、これによる疲労と赤痢により泰時は倒れ、帰らぬ人となったのです。泰時の遺骸は、粟船御堂に葬られ、その法名から常楽寺と寺名を改めました。
諸堂の裏手にひっそりと佇む泰時の墓常楽寺は、鎌倉市の中心から外れ、JR大船駅から徒歩15分ほどの場所にあります。
茅葺の四脚門である山門を潜り境内に足を踏み入れると、仏殿・客殿などの諸堂が建ちます。北条泰時の墓は、その裏手にひっそりと立っています。
この他、境内には、木曽義仲の子義高の墓と伝わる木曽塚、源頼朝・政子の娘でその許嫁・大姫の墓などもあります。