『現地へ行ってみた』宋にいきたかった源実朝が造ったという船ゆかりの地を歩いてみた【鎌倉殿の13人】 (2/3ページ)

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それは、「船玉神社」(祭神・弟橘姫命)です。

神社がある境内は、かつて実朝が唐船の用材を切り出したところと伝えられ、安全な船旅への願いから勧請された神社といわれています。

実朝が唐船の用材を切り出したところと伝えられる船玉神社

「船玉」とは即ち、「船の御霊(みたま)」のこと。民間信仰でも「フナダマサマ」として、船の守り神として、漁民や船乗りの間で広く信仰されています。

船玉神社の裏には鎌倉方面(海)に向かって川が流れています。このあたりを「大鋸」といい、かつては、大きな縦引きのノコギリを使う職人が大鋸引きの住んだ街でした。室町時代の中頃から大鋸に移り住み、大鋸職人の棟梁であった森家は、遊行寺の造営、玉縄城、小田原城の修築にも関わっていたということが残されています(市指定文化財『森文書』)。

この地域にある山は、「御幣山」ともいわれ、後北条の時代には、玉縄城の支城として「御幣砦(城)」が増築されました。戦国時代には、武田信玄によって奪われたこともあります。

今回たまたまお参りに伺った際、偶然居合わせたご近所の方に「お参りありがとうございます」とお声がけをいただいたので、さっそくお話を聞いてみました。その方によると、新型ウィルス禍以前のお正月には、こちらの神社でも地域の方々が初詣されて甘酒などが振舞われていたそうです。現代でも地域の人たちにとって大切なお宮様だということがわかります。

船玉神社から西に10mほど歩き、右手側の山に登る階段をのぼると、藤沢で1番古い稲荷社といわれている藤稲荷大明神があります。藤稲荷大明神は、藤沢の地名の由来ともいわれているほど、地元では由緒あるお稲荷様です。

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