『現地へ行ってみた』宋にいきたかった源実朝が造ったという船ゆかりの地を歩いてみた【鎌倉殿の13人】 (1/3ページ)

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『現地へ行ってみた』宋にいきたかった源実朝が造ったという船ゆかりの地を歩いてみた【鎌倉殿の13人】

源頼朝の次男として生まれた実朝は、兄の頼家が鎌倉から追放され将軍職を失い、3代目の鎌倉殿を継ぎました。後鳥羽上皇の従妹を正室に迎え、和歌にも精通し蹴鞠も盛んに行っていたので、京との関係は良好にこなしていたのではないかと思われます。

宋に渡りたかった源実朝 『國文学名家肖像集』収録

実朝が、東大寺を再建した宋の僧・陳和卿と御所で対面した際、陳和卿は

「実朝様は宋の偉い長老の生まれ変わりです。私はその方の門弟でした」

と述べたのです。

この話を信じこんだ実朝は大江広元や北条義時が諫めたのにもかかわらず、渡宋の夢を諦めきることができずません。とうとう、陳和卿に宋に渡る唐船を造船するように命じました。

ところが、完成した唐船は浮かばず、砂浜に朽ち果てたと伝えられています。

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現在、藤沢市大鋸には、実朝が造ったという唐船に縁のある神社があります。

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