本能寺の変、織田信忠の自害…織田家の衰退がなかったらその後の「天下取り」はどうなった? (2/4ページ)
これには織田家の家臣である柴田勝家・丹羽長秀・池田恒興・羽柴秀吉の4人が出席し、後継候補として次男の信雄、三男の信孝、信忠の嫡男(つまり信長の孫)である秀信の3名の名前が挙がります。
ちなみに、秀信は当時三歳で、幼名を「三法師」と言いました。
この会議では、明智光秀を討ち取った功労者である羽柴秀吉の発言力が大きかったようです。その結果、彼が推した秀信が後継に決まりました。
普通に考えて三歳児を後継にするというのは、織田家を弱体化させて、秀吉自身が天下統一するための素地を作ろうとした意図が丸わかりです。実際、彼が天下統一を果たしたのはそのたった6年後の1588年でした。
信忠が自害した理由それにしても、信忠が父親を救出しようと考えずに安土城へ退却していれば、自害することもなく、最終的に織田家は継続したかも知れません。当時彼が逃亡するのは不可能ではなく、織田家側で逃亡に成功した者もいました。
ではなぜ信忠は逃げなかったのかが問題になります。この理由としては2つの説があり、ひとつは逃げ切ったとしてもリスクがあったからというものです。
リスクとは、父の信長に罰せられる可能性のことです。もしも自分自身が父を救おうとせずに安土城へ退却し、それで信長が生還すれば、罰せられるかも知れません。