本能寺の変、織田信忠の自害…織田家の衰退がなかったらその後の「天下取り」はどうなった? (3/4ページ)

Japaaan

もう一つの説は、逃亡に失敗して明智軍に討ち取られた場合、後世の恥になると考えたからではないか、というものです。

両方の説を綜合して考えると、当時の信忠は、もし逃亡したとしても失敗すれば殺されて織田家の恥になるし、逃亡に成功したとしても、父の信長が生きていれば処罰されるかも知れない……という状況にあったということです。

信忠自刃の際、介錯は鎌田新介が務めた

これをもって「自害して当然」と言えるかどうかは分かりませんが、少なくともこれ以外には、彼が二条城へ退却して自害した合理的な理由は考えにくいということです。

信忠が生きていたらどうなっていたか

ところで、織田信忠は早くから信長から後継者として特別に扱われていました。また、1582年には甲州征伐で武田家を滅ぼすなどし、その期待に応えています。

甲州征伐で滅ぼされた武田勝頼(Wikipediaより)

彼の戦いぶりは鮮やかなもので、父の信長は「少し慎重になれ」と忠告したほどだと言われています。

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