博多華丸「いずれは福岡に帰って、朝のラジオをやりながら、週末は漫才をやるような生活ができたらいいなぁ」【人間力】インタビュー

日刊大衆

博多華丸(撮影・弦巻勝)
博多華丸(撮影・弦巻勝)

 僕らが福岡から東京に出てきたのは、僕と(相方の)大吉さんが35歳のときです。福岡ではレギュラー番組もいくつか持たせてもらっていたし、大吉さんは「あなたには奥さんも子どももおる。福岡でそこそこ生活できるのに、今さら東京に出なくても」と反対したんです。でも、僕は“1回は東京に出んといかん”と思ったんですよね。

 当時、僕らは“九州のスター”とか言ってもらうこともあったけど、九州北部限定だったんですよ。佐賀まではギリギリ知られているけど、長崎の諫早を過ぎたらもうダメ。熊本は荒尾までで、関門海峡の向こうは僕らのことなんて誰も知らん。そんな、もどかしさを感じているときに、NHKの『爆笑オンエアバトル』に出てみると、すごい反響があったんですね。福岡でやってきたのと同じことをしてるのに、です。

 それで1年だけ、東京でやってみようと決心したんです。とはいえ、もう35歳だったし、地元のレギュラー番組を残すという保険はかけました(笑)。「ダメやったらすぐに戻ります」みたいな気持ちだったのに、ありがたいことに、どうにかこうにか、これまでやらせてもらっているという感じです。

 近年は、芸人だけじゃなく、俳優業もやらせてもらっています。僕が昔から憧れていた存在が、ビートたけしさんと渥美清さん。このお二方を、芸人としても俳優としても、心から尊敬しているんですが、まさか自分が俳優という仕事をするというのは考えてもみませんでした。

 きっかけは、福岡が舞台になった『めんたいぴりり』(テレビ西日本)というテレビドラマのお話をいただいたこと。実は最初、「オレに演技ができるわけがない」とお断りしたんですよ。でも、福岡ローカルだし、地元の人に喜んでもらえるなら……と挑戦してみたんです。すると結果的に、続編ドラマに舞台化、映画化と、多くの人に観てもらえる作品になった。これはうれしかったですね。

■50歳で新しいことをやるのは楽しかった

 昨年、博多座と大阪の新歌舞伎座で上演した『羽世保スウィングボーイズ』という舞台も、僕にとって大きな挑戦でした。今度は演技だけではなく、タップダンスと和太鼓も舞台上でやるというので、何か月も前から必死で練習しました。でも、50歳で新しいことをやるのは楽しかったですね。特にタップは「踊るって楽しか〜」って思ったほど。ただ、舞台で踊ったのは1曲だけ。だから、もっと踊りたいなと、タップのレッスンを続けていたんです。

 そしたら今年、東京・明治座での上演が決まって、文字通り躍り上がって喜びました(笑)。自分で言うのもなんですけど、本当に面白い作品なんですよ。歌あり、タップあり、和太鼓ありの盛りだくさん。だけど、胃もたれしない。ぜひ観ていただきたいですね。

 ちなみに、セリフはほぼ博多弁です。よく「博多弁を全国区にしたのは華丸大吉だ」なんて言ってもらえて、僕らもその気になっていたんですが、あるとき武田鉄矢さんから「レールを敷いたのは俺やけんね」と釘を刺されました(笑)。

 芸人としては、コンビ結成から30年以上がたちますが、もう十分ですね(笑)。今の状況は、良すぎますよ。“そろそろ着陸態勢に入ってもいいんじゃないか”と思いますね。いずれは福岡に帰って、朝のラジオをやりながら、週末は漫才をやるような生活ができたらいいなぁ、と。

 ただ、もともと上京したときには、“『エンタの神様』に出るまでは帰られん!”って思っていたんです。でも、まだ出れていない。だからまだ帰るわけにはいかんですよね。

 もし、今後も俳優の仕事もやらせてもらえるなら、「70歳のじいさんをやらせたら、華丸さんが一番やね」と言われるような役者になれたらいいですね。え、目標とする俳優さんですか? もちろん、武田鉄矢さんです! ここは太字で書いておいてください(笑)。

博多華丸(はかた・はなまる)
1970年生まれ。1990年、お笑いコンビ「博多華丸・大吉」を結成し、福岡での活動を経て上京。2006年に児玉清のモノマネで『R-1ぐらんぷり』優勝。博多華丸・大吉として『THE MANZAI 2014』で優勝する。俳優としても活躍し、テレビドラマ『めんたいぴりり』(テレビ西日本)やNHK大河ドラマ真田丸』『青天を衝け』、映画『マスカレード・ナイト』などに出演。

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