幕末期に暗殺された土佐藩の重鎮・吉田東洋はどんな人?その人となり・実績に迫る【後編】 (3/3ページ)

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板垣退助像

明治時代になると、日本では薩長土肥と呼ばれる四つの藩が中心となって政治運営を行っていきますが、この四藩に共通しているのは、幕末に富国強兵の藩政改革を断行していったことでした。

後世から見れば、この四藩は先見の明があったと言えるでしょう。そして土佐藩では、その基礎を作ったのが吉田東洋という人物だったのです。

暗殺され、歴史の表舞台からは途中退場してしまった上に歴史もののエンタテインメント界隈では悪役扱いされている感がありますが、実はかなりの重要人物だったことが分かります。

47歳という、これからという時期に暗殺されたことや、それまでの彼の活躍ぶりを見ると、吉田東洋という人が明治維新以降も生きていればきっと大物の政治家になれたのではないかという気がしますね。

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