いつ誰が考えた?小野小町はいかにして「世界三大美人」の一人となったか。その経緯を追う【後編】

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いつ誰が考えた?小野小町はいかにして「世界三大美人」の一人となったか。その経緯を追う【後編】

美しさ・正しさ・理想

【前編】では、小野小町が生きていた平安時代の「美人」の基準と、近代以降の「美人」の基準の違いについて解説しました。

いつ誰が考えた?小野小町はいかにして「世界三大美人」の一人となったか。その経緯を追う【前編】

少し哲学的な話になりますが、美しさの基準について考える際に見落としてはいけないこととして、「美しさ」の概念「正しさ」の概念と接続しやすいということが言えます。

例えば、どんなに美しい顔立ちの人でも、それが極悪人だと分かれば、私たちの心の中にはその美しさを「認めたくない」という感情が生まれます。

さらにその感情が強まれば、その人の美しさが、反対にある種の「醜さ」として目に映ってしまうこともあるでしょう。

岳亭春信による小野小町・Wikipediaより

また、漫画やアニメなどの主人公は、たとえ物語の中で「地味」「目立たない」「冴えない」などと表現されていても、どことなく美しい・かわいい・カッコいい見た目で描かれるものです。

物語の主人公というのは、見る側にとっては感情移入する対象です。つまり、その物語の中では、さしあたり感情移入しやすく、言動が真っ当で、受け入れやすく理解しやすいキャラクターでなければいけません。事実として、そうした存在は美しい・かわいい・カッコいい見た目で描かれるものなのです。

もちろん、そんなに真っ当でまともな人間は存在しません。どんなにまともそうでも、善悪の二面性を持っている上に支離滅裂なところがあるのが人間です。

よって、そうしたキャラクターは少なからず「理想的」であると言えます。

つまり、ある人を「美しい」と認めるとき、同時にその人は「理想的」なキャラクターであるという気持ちも少なからず混ざってくるということです。

明治時代以降の「女性論」と小野小町

では、近代以降に小野小町が「美人」として受け入れられた際、彼女はどのような意味で理想的なキャラクターと見なされたのでしょうか。

例えば戦前は、足利尊氏や平将門は、天皇家に楯突いた人物だということで「極悪人」と見なされていました。

このような時代の空気の中では、彼らを「カッコイイ」理想的なキャラクターと見なすような考え方は一般的ではなかったでしょう。

よって、小野小町が「美人」と見なされたのも、近代以降の時代の空気にマッチした部分があったからだと言えます。

小野小町(鈴木春信画・Wikipediaより)

そしてそれは、世界三大美人のカテゴリーに西欧の女性が入っていないことと大きな関係があります。

日本で「世界三大美人」という括りが生まれたのは明治時代の中期頃からです。当時から大正時代にかけて刊行された雑誌・新聞には、女性論とでも言うべきものが掲載されるようになり、そこで小野小町が三大美人として取り上げられたのです。

著名な言論人だった黒岩涙香も、雑誌に寄せた小野小町論の中で、理想の女性であるとして賞賛しました。

ちなみにクレオパトラが三大美人に入れられた理由は、大正3年に「アントニーとクレオパトラ」という映画が上映されたり、女優の松井須磨子が帝国劇場でクレオパトラを演じたりしたことで名前が知られるようになったからです。

つまりクレオパトラは、当時のエンタテインメントで界隈でちょっと流行っていたキャラクターだったのです。

日本文化のシンボル

さてでは、なぜこの頃に小野小町が理想の女性として持て囃されたかというと、おそらく和歌の名手だったからです。彼女は、日本文化を体現するシンボルとして賞賛されたのでした。

その頃、日本は西洋化を目指していたものの、国内ではその反動として、日本文化や日本的な伝統に立ち返ろうという動きも生じていました。それは近代のナショナリズムアジア主義にもつながっていきます。

こうした風潮の中で、小野小町は日本文化を体現する素晴らしい存在だとされたのです。こうしたナショナリズムを背景に考えると、「世界三大美人」にヨーロッパの女性がいないのも頷けますね。

実際、彼女の歌風はとても華やかでした。『古今和歌集』の序文でも、その素晴らしさはピックアップされています。

「卒塔婆の月」(月岡芳年『月百姿』)年老いた小野小町・Wikipediaより

もうひとつ、有名な漢詩文『玉造小町子盛衰書』の影響もあります。これは、一人の美しい女性が老いさらばえて衰えていく物語なのですが、この主人公の名前が「小町」で、もともと小野小町とは無関係だったのですが、美人という共通点だけで混同されるようになりました。

うして、想像、憶測、時代背景などがさまざまに絡み合って、小野小町は美人だったという伝説や、彼女は世界三大美人の一人であるというイメージができあがっていったのです。

参考資料
東大発オンラインメディアumeeT

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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