なぎら健壱70歳の【人間力】「年相応のものなんてないんですよ」 (1/2ページ)

日刊大衆

なぎら健壱(撮影・弦巻勝)
なぎら健壱(撮影・弦巻勝)

 今年、70歳になったんですが、50歳のときと心持ちは、なんら変わってないんですよ。人間てのは還暦や古稀を迎えたからといって、生まれ変わったようにコロッと人が変わるなんてことはないと思うんですね。いまだに気持ちは若いままで、「古稀だね」と言われることが嫌なんですよ。

 余計なお世話だし、なぜ嫌かと言うと、自分がそう思ってないからなんです。それなのに、「ああ、70歳なんだ。年寄りなんだ」と、どうやっても変えられない数字で認めさせられちゃうからなんですよ。結局、その年だと認めたくないんですよね。ということは、年を食った証拠なんですけどね。

 確かに古稀を迎えて、ちょっと老いたなという実感はありますよ。それは容姿であり、病であり、いろいろなものがあるんだけど、その全部が自分では決められないことだから、困っちゃうんだよね。機械だって何十年も使ってりゃガタがくるわけで、あたしはもう70年も頭と体を使ってるわけだから、いろんなところにガタがきてるのはしょうがない。自分では年寄りじゃないと思ってんのに、体が教えてくれているということがあるわけですよ。そういう問題はあるんですが、気持ちは若い頃と変わっていないんです。

 たまに、久しぶりに会った人から、「若いねぇ」とか「楽しく生きてるねぇ」なんて言われることがありましてね。まあ、年相応の容姿になってますが、お世辞でも相変わらず若いと言っていただけるとうれしいもんです。で、なぜ若く見えるかと言うと、あたしは一貫して若い頃から好きな格好を変えていないだけなんですよ。アメカジやウエスタン・ファッションを貫いているし、夏場は派手なアロハを着て街を歩いてる。古稀を迎えました。じゃあ、アロハは今日で終わりです、なんてことはないんですよね。古稀なんてものは単なる通過点ですから。

■年相応のものをやれっていうのはおかしいし、世間の評価なんて関係ない

 着てるもんとか趣味とかというのは自分が決めることであって、年相応のものなんてないんですよ。落ち着いた色の洋服を着て、碁会所へ通うのが老人のあるべき姿だなんて、いったい誰が決めたかということですよね。なんとなくそういう雰囲気に従うことというのは実にばかばかしいことでね。

「なぎら健壱70歳の【人間力】「年相応のものなんてないんですよ」」のページです。デイリーニュースオンラインは、インタビューカルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧