公暁は「くぎょう」じゃないの?大河ドラマで「こうぎょう」と読むのはこんな理由【鎌倉殿の13人】
公暁(こうぎょう)
寛一郎(かんいちろう)源頼家の次男。母はつつじ。父の無念を晴らすため日本史上に残る大事件を引き起こす。
※NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」公式サイトより
「父の仇はかく討つぞ」……で有名な源実朝(演:柿澤勇人)暗殺事件。時に建保7年(1219年)1月27日のことでした。
その犯人である公暁(演:寛一郎)は実朝の甥に当たり、父・頼家が遂げた非業の死を逆恨みしてのことと考えられます。
ところでこの公暁、多くの方は「くぎょう」と読み親しんできたのではないでしょうか。例えばパソコンで公暁と書きたい場合「くぎょう」と入力すると変換候補に出てくる一方、「こうぎょう」では出てきません。
なぜNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では公暁を「こうぎょう」と読ませているのでしょうか。その理由と考えられる諸説を今回は紹介したいと思います。
各文献に書かれた公暁のルビ公暁を「くぎょう(くげう)」と読むことが判るのは江戸時代、寛永版『吾妻鏡』や『新編鎌倉志』にルビが振られました。
これに対して鎌倉時代『承久軍物語』では「こうきょう」、江戸の天明年間『承久兵物語』では「こうきやう」と読まれています。
また公暁の法号は、師匠である公胤(こういん)と貞暁(じょうぎょう/ていぎょう)からそれぞれ一文字ずつもらったのでしょう。
※貞暁は亡き源頼朝(演:大泉洋)の隠し子ではなく、鶴岡八幡宮寺の第3代別当・定暁(じょうぎょう/ていぎょう)と考えられます。
公胤は「こういん」とルビが振られていることから、弟子の公暁もそれに倣って「こう」と呼んだ可能性が高そうです。
だから公暁は「こうぎょう」である……というのが大河ドラマ制作当局の見解なのでしょう。
その内、パソコンで「こうぎょう」と打って公暁に変換できるようになる日も近いかも知れませんね。
終わりにさて、親の仇である実朝(と憎き北条義時……と入れ替わっていた源仲章)を討ち果たした公暁。実朝の首級を抱えながら隠れ家へ逃げ込み、首級を抱えたまんま食事をしたと言います。凄まじい絵面ですね。
「これで俺が鎌倉殿だ。乳父の平六(三浦義村)殿へ迎えに来るよう使いを出せ……」
どこまで本気で言っているのか(まさか現将軍を殺した犯人がそのまま取って代われると思っているのか)、もう天下を獲ったようなつもりでいた公暁の元へ駆けつけたのは、義村の刺客。
思わぬ裏切りに遭い、公暁は奮戦空しく討ち取られてしまったのでした。いや、義村とすれば元から裏切ったどころか「何てことしてくれやがる」だったでしょうね。
(確かに実朝が死んでくれれば、その猶子である公暁に後継者のチャンスが巡ってくるものの、公暁自身が暗殺犯では三浦の謀叛さえ疑われかねません)
だから大河ドラマのように義村が公暁を唆す(第43回放送「資格と死角」)というのはちょっと考えにくいのですが……そこへ三谷幸喜ならではのアレンジが仕掛けられているのか、注目したいところです。
※参考文献:
奥富敬之『吾妻鏡の謎』吉川弘文館、2009年7月 坂井孝一『源氏将軍断絶 なぜ頼朝の血は三代で途絶えたか』PHP新書、2020年12月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan