「本名で仕事をしているのは、なぜか僕だけですね」『カムカムエヴリバディ』雉真勇役・目黒祐樹の人間力

日刊大衆

目黒祐樹(撮影・弦巻勝)
目黒祐樹(撮影・弦巻勝)

 父は近衛、母は水川で、兄は松方。妻は江夏で、娘は近衛……。みんな実際の名字は「目黒」なんですが、芸名があり、本名で仕事をしているのは、なぜか僕だけですね(笑)。

 かっこいい芸名をつけたほうがよかったのかもしれないけど、生まれたときから身にしみこんだ目黒祐樹という名前が好きだったので、75年間この名前と一緒に生きてきました。

 俳優業の原点は、両親が俳優だったことで、撮影所を遊び場にして育ったこと。6歳のときに「近衛さんとこの下のボン、映画に出る気はないかな」と声をかけていただいたんです。

 そうして活動を始めて、1958年に、東映が作る初のテレビ作品『風小僧』の主人公をやることになったんです。

 ありがたいことに、子どもが主役ということで、すごい反響になったんですね。でも、結果として、友達との間に微妙な距離ができてしまった。学校に行っても、みんながなんだか遠い目で僕のことを見るし……。それがつらくて、いったん、この世界から離れることにしたんです。

 高校生のときにアメリカに留学したタイミングでは、芸能界に戻る気持ちは全然なかったんです。でも、時間ができると映画館に足を運んでいる自分がいた。

 やっぱり僕は、映画の世界が好きなのかもしれないな……という思いを抱えながら、4年半の留学を終えました。すると、これまたありがたいことに、帰国したタイミングで、「留学記を書いてみないか」というお話と、「歌手としてレコードを出さないか」というお話と、「映画に出ないか」というお話をほぼ同時にいただいたんです。

 そこで導き出した答えが、「こうなったら全部やっちゃえ!」。ですから、僕の本格的なデビューは、主演映画、レコード発売、留学記出版という、かなり華々しいことになりました。

 しかし……、結果から言うと、映画は当たらないし、本は売れない、レコードも売れない。

■死ぬまで悩み続けて、まだまだだな、と思いながらこの世を去るんだろうな

 当時は、いったい自分の何がダメなんだろう? と落ち込みましたが、そのときは、自分の芝居がヘタクソだからということも分からなかった。今思えば、ひどいもんです(笑)。

 それでも、2作目、3作目とやらせていただいたのですが、そんなにすぐできるようになるもんじゃない。今でも「いつになったら、自分が納得できる演技ができるんだろう?」って思いますからね。この問いについては、最近では、「死ぬまで悩み続けて、まだまだだな、と思いながらこの世を去るんだろうな」と考えるようになりました。

 ごく稀に、監督や先輩から「あのシーン、よかったよ」なんて褒めていただくと、そりゃもう有頂天もいいところですよね! まるで天から響いてくる、美しい調べのように感じます(笑)。

 最近では朝ドラ『カムカムエヴリバディ』で、雉真勇という登場人物の老年期を演じさせていただきました。若い頃を村上虹郎さんが非常に魅力的に演じておられたので、最後に僕が出てイメージを壊しちゃうんじゃないかと心配だったけれど、いい反響をいただいて、とてもうれしかったですね。

 気づいたら人生のほとんどを俳優として過ごしてきました。それでも、舞台に出るときや、映像で「本番!」の声を聞くときは、緊張のあまり逃げ出したくなるんですよ。だから心の中で「えいっ」とかけ声をかけ、自分を鼓舞してから、本番に挑んでいます。

 70代も半ばになり、記憶力や体力の衰えを日々実感していますが、1行でも2行でも台詞を覚えられる限りは、続けていたい。そしていつか『そういえば最近、目黒祐樹を見な
いね』みたいな感じでフェードアウトするのが、僕の俳優人生には合っているのでは、なんて思っています。

目黒祐樹(めぐろ・ゆうき)
1947年8月15日生まれ。東京都出身。子役として映画に出演後、69年に映画『太陽の野郎ども』に主演。以来、数多くの映画、ドラマ、舞台に出演。主な出演作は、映画『華麗なる一族』『ヤマトタケル』、ドラマ『鬼平犯科帳』(フジテレビ系)『鞍馬天狗』(テレビ東京)、ミュージカル『アニー』など。俳優の近衛十四郎を父に、女優の水川八重子を母に、俳優の松方弘樹を兄に持つ。

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