加害者が過ちを認める 被害者が加害者を赦す 罪人への鎮魂と慰霊

心に残る家族葬

加害者が過ちを認める 被害者が加害者を赦す 罪人への鎮魂と慰霊

死ねばみな仏という。例え罪人といえども死者をあからさまに侮辱、侮蔑することは不謹慎の極みとされる。それでも罪は許せないという者もいる。罪を犯した死者に対して私たちはいかに向き合うべきか。

■聖地化を恐れてギャングの墓石破壊

中米エルサルバドルでギャング構成員の墓の「聖地化」を防ぐため、墓石を破壊していることがわかった。政府は構成員の墓の場所を報告するよう市民に呼び掛け、法務副大臣は「エルサルバドルにテロリストの居場所はない」「テロリストは、もはや死んだ犯罪者の思い出を『美化』できないだろう」とツイッターに投稿。ハンマーやつるはしで墓石を粉砕する場面の動画を添付した。墓石の破壊は、中南米の故人をしのぶための祝祭「死者の日(Day of the Dead)」の10月31日に合わせて始まった。なお遺骨はそのまま残される(1)。

■日本人には想像し難い

あくまで犯罪者の聖地化を防ぐことが目的であり、遺骨には手を付けていないのは理性的かつ合理的な行動といえる。しかし墓石の破壊とは日本人ではまず出てこない発想だ。中国では国賊・売国奴として嫌われている、南宋王朝の宰相・秦檜(1091〜1155)の像に唾を吐く習慣があったという。日本人なら例え被害者の遺族といえど、加害者の墓石に対して恨みは述べても、唾を吐いたり蹴飛ばすまでは憚れるのが多数ではないだろうか。日本人の心性には死者に鞭打つような行為を良しとしない美学がある。それが直接連続性を持たない歴史上の人物なら尚更かと思われるが、そうではないとする見方もある。

■英雄か罪人か

江戸時代の侠客・国定忠治(1810〜51)の生誕イベントが市民の反対の声を受けて中止になったことがある。国定忠治は侠客、博徒。いわゆる「渡世人」要するにヤクザである。とはいえ現代の反社会的勢力とはイメージが違う。天保の大飢饉で庶民を救済するなど義に厚く、民衆の味方、反逆のヒーローといったところで後世に至るまで庶民に親しまれた。「赤城の山も今宵限り〜」の名文句は、講談や浪曲で広く知られている。その忠治の生誕イベントが地元の群馬県伊勢崎市で開催されるはずだった。ところが一部の地元民から「税金でヤクザをもり立てるなどもってのほか」と、地域を上げての町おこしに反対の声が挙がった(2)。

■多くの人を殺した国定忠治

確かに忠治は多くの人間を殺害している。そのほとんどが大義の無い侠客同士の抗争である。民衆への施しがあれば人を殺してもいいのかと言われればその通りだが、エルサルバドルや近年の戦争犯罪のような連続性を持たない遠い時代の人である。江戸時代の浪曲講談の題材にもなっている「物語」の主人公に対してすら、現代のヤクザと重ねて嫌う人が出てきたのは時代というものか。人気の侠客、博徒といえば、清水次郎長や森の石松、木枯し紋次郎などが有名だが、彼らも反社会的勢力とされてしまうのだろうか。なんとも味気のない話ではある。

■紙一重

この論でいうなら戦国大名などはどうなるのか。彼らは皆、大量虐殺犯であり戦争犯罪人である。織田信長が、豊臣秀吉がどれだけの人間を殺してきたことか。坂本龍馬も現代なら反政府テロリストということになる。しかし信長や龍馬を殺人犯、テロリストなどと考える人はほとんどいない。国定忠治はヤクザという現代でも想像しやすい犯罪者につながるからだろうか。ヤクザというならシカゴではギャング王・アル・カポネ(1899〜1947)ゆかりの酒場が観光名所として賑わっている。カポネといえば「聖バレンタインデーの虐殺」をはじめ、多くの敵を葬ってきた。だが実際にカポネゆかりの酒場に行くなら、ニヒルでクールなギャング王を気取ってバーボンを一杯やるなどとやってしまいそうである。その感情は自然だと思うし「殺人犯」という事実とはまた別のものだろう。

■罪人への慰霊と鎮魂

国定忠治については記事にある「手打ち式」が興味深い。2007年に忠治の子孫と、忠治らと敵対して命を奪われた博徒らの子孫が、約170年ぶりに和解した。伊勢崎市や忠治の愛好会などが観光の話題作りにつなげるべく、それぞれの子孫に働きかけて実現したものである(3)。

■被害者が加害者を赦す

また、去年の9月12日、比叡山延暦寺で「比叡山焼き打ち」を行った織田信長軍も含めた犠牲者の慰霊法要が営まれた。焼き打ちから450年となるこの日、信長の子孫と明智光秀の子孫も招かれ犠牲者の冥福を祈った。延暦寺では1992年、境内に「鎮魂塚」を設けて、毎年犠牲者とともに、信長本人や戦没者の霊を殉難者として供養している。かつては「仏敵」と名指しした信長だが、今では敵味方を分けない仏教の「怨親(おんしん)平等」の精神の中で鎮められている(4)。

■加害者が過ちを認める

忠治と比叡山は被害者からの視点だが、加害者からの視点では、ローマ・カトリック教会のガリレオ・ガリレイ(1564〜1642)に対する謝罪がある。バチカン教皇庁で行われた国際会議において、当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が、ガリレオに対する宗教裁判が誤りだったことを公式に認め、謝罪の言葉を述べた。そして1992年バチカンは宗教裁判の調査委員会を設立、ガリレオを異端とする判決が取り消された。さらに2009年、ガリレオの科学的業績を称えるミサも行なわれた(5)。

加害者側が罪を認め謝罪すること。被害者の子孫が罪を赦すこと。当事者の関係者同士が和解すること。これらは被害者のみならず、加害者である罪人の魂への鎮魂、慰霊行為に他ならない。

■前に進む一歩

犯罪、違法だから悪かというとそう単純ではない。ロシアで大統領を批判したり反戦を唱えることは国内では犯罪である。しかし地下で反戦活動を行う人たちを犯罪者だからといって悪であるといえるだろうか。何が罪なのかはその時代や世相、文化、国家によって異なる。自分が生きている時代や文化を物差しにして頭ごなしに否定することはできない。本人の声を聴くことのできない、罪を犯した死者との関係は難しいが、避けては通れない問題である。

無念の思いを抱いて散った死者に思いを馳せれば、すべてを水に流すというわけにはいかないが、「赦す」こと、「赦しを乞う」ことで、前に進む一歩になることは間違いない。罪人への鎮魂と慰霊は、生きている自分自身の心の浄化でもある。


■参考資料

(1)「エルサルバドル、ギャング構成員の墓石を破壊」AFPBB News 2022年11月4日

(2)「 国定忠治は郷土のヒーローか イベント中止から11年」 朝日新聞デジタル 2021年8月25日

(3)「170年ぶり和解の手打ち/群馬、国定忠治の子孫ら」 四国新聞 2007年6月2日

(4)「『比叡山焼き打ち』450年法要に信長と光秀の子孫 敵味方分けず慰霊」京都新聞 2021年9月12日

(5)「5月9日 ローマ法王がガリレオに謝罪(1983年)科学 今日はこんな日」現代ビジネス 2018年 5月9日

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