加害者が過ちを認める 被害者が加害者を赦す 罪人への鎮魂と慰霊 (1/4ページ)

心に残る家族葬

加害者が過ちを認める 被害者が加害者を赦す 罪人への鎮魂と慰霊

死ねばみな仏という。例え罪人といえども死者をあからさまに侮辱、侮蔑することは不謹慎の極みとされる。それでも罪は許せないという者もいる。罪を犯した死者に対して私たちはいかに向き合うべきか。

■聖地化を恐れてギャングの墓石破壊

中米エルサルバドルでギャング構成員の墓の「聖地化」を防ぐため、墓石を破壊していることがわかった。政府は構成員の墓の場所を報告するよう市民に呼び掛け、法務副大臣は「エルサルバドルにテロリストの居場所はない」「テロリストは、もはや死んだ犯罪者の思い出を『美化』できないだろう」とツイッターに投稿。ハンマーやつるはしで墓石を粉砕する場面の動画を添付した。墓石の破壊は、中南米の故人をしのぶための祝祭「死者の日(Day of the Dead)」の10月31日に合わせて始まった。なお遺骨はそのまま残される(1)。

■日本人には想像し難い

あくまで犯罪者の聖地化を防ぐことが目的であり、遺骨には手を付けていないのは理性的かつ合理的な行動といえる。しかし墓石の破壊とは日本人ではまず出てこない発想だ。中国では国賊・売国奴として嫌われている、南宋王朝の宰相・秦檜(1091〜1155)の像に唾を吐く習慣があったという。日本人なら例え被害者の遺族といえど、加害者の墓石に対して恨みは述べても、唾を吐いたり蹴飛ばすまでは憚れるのが多数ではないだろうか。日本人の心性には死者に鞭打つような行為を良しとしない美学がある。それが直接連続性を持たない歴史上の人物なら尚更かと思われるが、そうではないとする見方もある。

■英雄か罪人か

江戸時代の侠客・国定忠治(1810〜51)の生誕イベントが市民の反対の声を受けて中止になったことがある。国定忠治は侠客、博徒。いわゆる「渡世人」要するにヤクザである。とはいえ現代の反社会的勢力とはイメージが違う。天保の大飢饉で庶民を救済するなど義に厚く、民衆の味方、反逆のヒーローといったところで後世に至るまで庶民に親しまれた。「赤城の山も今宵限り〜」の名文句は、講談や浪曲で広く知られている。その忠治の生誕イベントが地元の群馬県伊勢崎市で開催されるはずだった。

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