武将・茶人として、徳川家康から重用された細川忠興(三斎)。京都大徳寺「高桐院」に色濃く残る忠興の面影を訪ねる。【どうする家康】 (3/5ページ)
露地庭の奥には、楓越しに「茶室松向軒」が見える[写真:T.Takano]
三斎とガラシャの墓標は、利休秘蔵の天下一の灯籠露地庭奥、築地塀に囲まれた場所に細川家墓所があり、その一画に利休秘蔵の天下一の灯籠を墓標とした忠興(三斎)とその夫人ガラシャの墓が立ちます。
天下一の灯籠を墓標とした忠興とガラシャの墓[写真:T.Takano]
ガラシャは明智光秀の娘で本名を玉といい、16歳で三斎に嫁ぎました。夫とともにキリシタンとなりガラシャと名乗りましたが、関ケ原の戦いの折り西軍の捕虜となるのを拒み、屋敷に火をかけて38歳の生涯を閉じました。
この灯籠は、秀吉に望まれたため利休がわざと裏面の笠の一部を破損させ疵物にしたという逸話が残ります。そこまでして秀吉に渡すことを拒んだために、利休切腹の一要因ともいわれています。