24名が極刑!完全非公開で裁判が行われた日本史上最悪の冤罪事件とは (2/3ページ)
激化する社会主義への弾圧
幸徳秋水が渡米していた頃、日本では社会主義者を弾圧しすぎると過激なことにつながる可能性があるとして、社会主義政党「日本社会党」の設立が認められました。
この約1年後、帰国した幸徳秋水は日本社会党内で無政府主義の思想を広めます。しかし、党内では社会主義と無政府主義のあいだで内部分裂が勃発。また、無政府主義の思想が流入した日本社会党を政府が危険視し、1907年に日本社会党の解散を命じました。
翌年の1908年、幸徳秋水を崇拝する一部の社会主義者が集会を開き、無政府共産や社会革命と書かれた赤旗を掲げたことを快く思わなかった政府は14名を逮捕。さらに社会主義者や無政府主義者に対して弾圧や厳しい取り締りをおこないました。
大逆事件1910年、平民新聞の愛読者で社会主義思想の影響を受けていた「宮下太吉」という男が、長野県安曇野市明科にて無許可で製造した爆弾を爆発させた「明科事件」が発生。宮下太吉が爆発物取締法違反で逮捕されたほか、本事件を重く受け止めた政府が「社会主義者が天皇暗殺計画のために爆弾を製造したのではないか」と考え、大規模な捜査を開始しました。
全国で100人以上もの社会主義者が検挙され、宮下を含めた26名が、天皇暗殺計画の容疑者として起訴されたのです。
「天皇暗殺計画」の容疑者全国で検挙された100人以上もの容疑者として連行されたのは、爆弾製造に用いる青酸カリを提供した「新村忠雄」のほか、計画を知っていた「古河力作」や「菅野スガ」。そして、菅野スガと恋人関係であった幸徳秋水も事件に関与しているとして逮捕されました。
さらには、事件以前から幸徳秋水と交流があったという理由で、医師の「大石誠之助」や元岡山県職員「森近運平」までもが容疑者となっています。
暗黒裁判明科事件から7ヵ月後の1910年12月10日、天皇暗殺計画の容疑者として26名の社会主義の裁判が行われました。罪状は「大逆罪」。
大逆罪とは、旧刑法において「天皇や皇族に危害を加える、もしくは加えようとした者は未遂や準備段階であったとしても死罪として扱う」というものでした。