24名が極刑!完全非公開で裁判が行われた日本史上最悪の冤罪事件とは (1/3ページ)

Japaaan

24名が極刑!完全非公開で裁判が行われた日本史上最悪の冤罪事件とは

1910年に発覚した日本史上最悪とよばれる「大逆事件」では、政府により12人もの社会主義者が「冤罪」で死刑に処されています。思想の違いや時代背景なども絡み、事件の背景には何があったのでしょうか。

天皇と日本臣民

旧日本国憲法が発布された1890年~1947年、「大日本帝国」とよばれた当時の日本では、「戦争をはじめる権利」や「官僚を自由に任命する権利」などの国家に関する権限はすべて天皇にあると定められていました。

そのため、天皇や皇族を除くすべての日本国民は、天皇に仕える民を意味する「日本臣民」として扱われたのです。

大逆事件が発覚した1910年は、大日本帝国真っただなかの出来事であり、反戦や平等といった思想を持って政治活動を行う「社会主義者」が政府によって厳しく弾圧されていた時代でもありました。

幸徳秋水

当時、社会主義思想の中心的な人物となっていたのが「幸徳秋水(こうとくしゅうすい)」と言われる人物です。

幸徳秋水

幸徳秋水は「社会的弱者である労働階級の人々は国境を越えて団結するべきである」といった社会主義に基づく思想から、非戦論や博愛の必要性を提唱するため、平民新聞を刊行します。

日露戦争の影響で高まっていた主戦思想に対して反戦の声を上げた平民新聞に対し、国家は「国家に危険を与える刊行物」と判断。刊行者の幸徳秋水を新聞紙条例違反で5ヵ月の禁固刑に処したのです。

幸徳秋水は釈放後、社会主義への弾圧が強い日本を離れ、アメリカのサンフランシスコへ渡航。

そこで、国家や権力そのものを否定する「無政府主義」について学びはじめます。

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