掃除という行為に宿る宗教性とは 神道と仏教は掃除をどう捉えているか (3/3ページ)

心に残る家族葬

近年は自然葬などの普及も進んでいるが、最も一般的な火葬による葬儀を行う際、ほぼすべての故人がシミひとつない清浄な白装束を纏って旅立つ。別に日本だけが故人の身だしなみを整えるわけではないが、海外では普段着であったり職業の制服だったりするようだ。死出の旅に際して清浄な純白に身を包んで臨む。神道では死は穢れとされている。白の装束を着せることの根底には禊ぎや祓いの意味があるのではないだろうか。同時に仏教では葬儀とは参列者が仏の教えに出会うための機会であるとしている。故人を清潔・清浄にして見送ることは、大きな功徳があるに違いない。それは掃除の功徳につうじる。葬儀には清浄・清潔の概念を通して神仏混淆の姿が見いだせるのである。

■モラルを超えるもの

日本人における掃除には宗教的な意味がある。諸外国では掃除は掃除をする業者がするものであり、その仕事を奪うなといった合理的な批判もあった。また近年はモラルの低下も叫ばれている。しかし多くの日本人にとって掃除がモラルを超えたただの片付けではなく神事、仏事である以上、これからも人が見ていようがいまいが行われ、功徳を積んでいくに違いない。

■参考資料

■長谷川良品「W杯でのゴミ拾いに批判!ホメられて喜ぶ奴隷根性」2022年 11月27日配信
■袴谷憲昭「仏教教団における研究と坐禅」『駒沢大学仏教学部研究紀要』第68巻 駒澤大学(2010)
■関稔「『愚かなパンタカ』伝承考(一)」『北海道駒澤大學研究紀要』第19巻 駒澤大学北海道教養部(1984)

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