掃除という行為に宿る宗教性とは 神道と仏教は掃除をどう捉えているか (1/3ページ)
日本人は清浄・清潔であることを好むことはよく知られている。日本人の精神的支柱である神道と仏教の視点から見ると、掃除とは神道的には神事であり、仏教的には功徳を積む善行でもある。その両方の視点から考えてみたい。
■サッカーワールドカップの会場で掃除をした日本人
サッカーW杯会場で日本人が試合後に掃除をして帰ることに絶賛の声が集まっている。一方で大王製紙元会長が「掃除を褒められて喜ぶのは奴隷根性」と批判ツイートをして炎上した。これに対して放送作家・長谷川良品氏が日本人にとって掃除は奴隷根性どころか、衛生を超えた神事と捉えているのではないか。だから人目がなくても清掃を行う人が多いのだと持論を述べた。長谷川氏は「人生がときめく片づけの魔法」(近藤麻理恵/河出書房新社/2019)がシリーズ累計1100万部の大ベストセラーとなったのも、掃除という行為にモラルを超えたスピリチュアルな要素が介在するからだと指摘した。
Japan are making the #WorldCup cleaner for one last time
■掃除は神事
長谷川氏の論説は日本人の宗教観を表していると思われる。日本人は世界一清潔な民族と呼ばれる。都市にゴミが落ちていないことに驚嘆する声があがることはしばしばである。先日、情報番組で外国人観光客のお土産人気1位が「古着」だった。日本の古着は清潔だというのがその理由でだった。しかし、いわゆる潔癖症とは趣きが違う。日本人の心性には「穢れ」を嫌い「 禊ぎ」「祓い」による清浄さを好む。「古事記」にある、伊邪那美命が黄泉の国の穢れを清浄な水で洗うと、天照大神・月読尊・素戔嗚尊の三神が生まれたという神話は、清潔、清浄の尊さを描いている。単に見た目を綺麗にすることが目的ではない。モノ(身体も含む)の清浄は心や魂も清浄にするという思想である。そして清浄な真っ白な心は神に通じるという。