「倒産を知らせなかった」両親から受け継いだ4代目バチェラー黄皓の「おカネ」への哲学【黄皓独占インタビュー】(3) (2/4ページ)

日刊大衆

――黄皓さんのご両親は中国出身で、ご自身も生まれは中国ということですよね。3歳のときから日本と中国を行き来して、高校入学をきっかけに、15歳のときにご両親と日本に住み始めたということですが、当時は、小金井公園(東京都小金井市)の家賃月4万円のアパートに家族3人で住んでいたと伺いました。大学卒業後、商社で働きだしたときは、どういう感じのお家に住んでたんですか。

 商社マンになった時は、元々親が持っていた持ち家があるから、大学も社会人も家賃はかからないと思うじゃないですか。でもうち、ここで1回倒産して家がなくなってるんで。僕が三菱商事に入った時は、日本に家がなかった。その時は会社の寮があったんですよ。月1万円で家賃光熱費全部込み。でも僕は、同期みんなとコミュニケーションを取るために月1万円払って寮の部屋は残しつつ、自分で11万円の家賃払って品川に住んでたんですよね。

――それはどういう理由があったんですか?

 先輩と絡むのもめんどくさいな、嫌だな、っていうのがありましたね。僕は“いい家に住みたい。モテたい”が強かったから、“絶対10万円払う”と思ってました。でもどう考えても支出が合わない。だって、初任給手取り18万円とかで……。でもそれは親が支援してくれてた。1年目とか全然すごい支援してくれて、家賃の半分持ってもらってました。

 実はそのとき、親は1回倒産していたんです。でも、僕はその時に自分の両親が倒産していることを知らなかったんで。そういうのを気づかせずに助けてくれてたっていう面でリスペクトは強いです。

――すごいですね。倒産されたこと、御存じなかったんですね。

 そう、あとで知ったんです。あの時、倒産してて、中国で両親は2人で生活費5万円、10万円の生活してたのに、僕1人で日本で20万円とか30万円とか使って……。ただそれを聞いて“マジで恩返ししよう”って思ったのはやっぱありますね。

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