負け続きにして不死身!?戦国武将・日根野弘就の人生と壮絶な最期 (2/3ページ)

Japaaan

斎藤道三(Wikipediaより)

しかし相次ぐ離反や竹中半兵衛の稲葉山城占拠、織田信長の侵攻によって、斎藤家そのものが滅亡。

浪人になった弘就は今川氏真に仕えますが、この頃、今川は徳川・武田の攻撃を受けている真っ最中でした。結果、一年もしないうちに再び浪人となります。

その後は浅井長政に仕えて、斎藤龍興との再会を果たします。そして長島一向一揆に参加して信長と戦ったものの、その一向一揆も織田信長によって滅ぼされました。

で、信長に仕えたのですが、数年後に本能寺の変が起きます。次は豊臣家に仕えました。

伝説の最期

さて、関ケ原の戦いです。弘就は東軍・西軍のどちらにも付かずに静観していたとも言われていますが、一説によると西軍に内通していたと言われています。

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