【最終回】「鎌倉殿の13人」行け!俺たちの泰時… 第48回放送「報いの時」予習

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【最終回】「鎌倉殿の13人」行け!俺たちの泰時… 第48回放送「報いの時」予習

令和4年(2022年)1月から始まったNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も次週でいよいよ最終回。安元元年(1175年。第1回放送)から承久3年(1221年。第47回放送)まで40数年、ずいぶん遠くまでやってきたように感じます。

第48回放送は「報いの時」。サブタイトルの意味するところは主人公・北条義時(演:小栗旬)の最期。果たしてその人生は、どのような報いをもって締めくくられるのでしょうか。

放送では、承久の乱(承久3・1221年5~6月)から義時が亡くなる元仁元年(1224年)6月13日までの3年間、そしてエピローグが描かれるものと思われます。

この辺りについて鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』をひもとき、最終回の予習をしていきましょう。

出撃か?迎撃か?大江広元かく語りき

「……ばかにするな。(義時一人の首を差し出して自分は助かろうとするような)そんな卑怯者は、この坂東に一人もいないことを、上皇様に教えてやりましょう!」

尼将軍・政子(演:小池栄子)の名演説に胸を打たれ、徹底抗戦の意志を固めた坂東武者たち。これが前回のラストでした。

義時たちの作戦会議(イメージ)『承久記絵巻』より

『吾妻鏡』だと、その夜に北条義時らは作戦会議を開きます。参加メンバーは北条時房(演:瀬戸康史。相州)、北条泰時(演:坂口健太郎。武州)、大江広元(演:栗原英雄。前大膳大夫入道)、三浦義村(演:山本耕史。駿河前司)、安達景盛(演:新名基浩。城介入道)ら。

……晩鐘之程。於右京兆舘。相州。武州。前大膳大夫入道。駿河前司。城介入道等凝評議。意見區分。所詮固關足柄。筥根兩方道路可相待之由云々。大官令覺阿云。群議之趣。一旦可然。但東士不一揆者。守關渉日之條。還可爲敗北之因歟。任運於天道。早可被發遣軍兵於京都者。右京兆以兩議。申二品之處。二品云。不上洛者。更難敗官軍歟。相待安保刑部丞實光以下武藏國勢。速可參洛者。就之。爲令上洛。今日遠江。駿河。伊豆。甲斐。相摸。武藏。安房。上総。下総。常陸。信濃。上野。下野。陸奥。出羽等國々。飛脚京兆奉書。可相具一族等之由。所仰家々長也。其状書樣。
自京都可襲坂東之由。有其聞之間。相摸權守。武藏守相具御勢。所打立也。以式部丞差向北國。此趣早相觸一家人々。可向者也。

※『吾妻鏡』承久3年(1221年)5月19日条

さて。いざ戦うとは言ったものの、こちらから京都まで攻め込むか、あるいは迎え撃つかで意見が分かれました。

「箱根と足柄の守りを固めて迎え撃った方が、労少なくして撃退できるのではなかろうか」

慣れないアウェーへ遠征するより、ホームで地の利を活かして戦った方が有利そうです。しかし、これに対して広元(大官令覚阿)が反対します。

「確かにその意見はもっともらしく聞こえる。しかし人間の奮起などいっときのもの。守りを固めると言って引き籠っている内に情熱は冷め、士気も下がってしまうだろう。喧嘩というのは何より勢いが大事なのだ。ここは運を天に任せ、ただちに出陣するべきだ」

その勢いに気圧された義時は、政子の意見を仰ぎました。

「……との事ですが、尼将軍のお考えはどうでしょうか?」

喧嘩は先手必勝!尼将軍かく語りき(イメージ)

「当たり前じゃないの。喧嘩は先手必勝、安保実光(あぼ さねみつ)ら武蔵の軍勢が到着次第、すぐに太郎(泰時)を行かせなさい!」

ちなみに安保実光は泰時の義祖父(後妻の祖父)に当たり、泰時が治めていた武蔵国の代官を務めていたようです。

このほか遠江国・伊豆国・甲斐国・相模国・武蔵国・安房国・上総国・下総国・常陸国・信濃国・上野国・下野国・陸奥国・出羽国……ざっくり言えば関東甲信および東北地方の各国に軍勢の動員をかけました。

一人でも行け!三善康信かく語りき

さて、東日本の各地に軍勢を動員したものの、まだ兵は集まりません。そりゃそうです。使者を発してからまだ2日、メールやLINEもない当時、命令書が届いてすらいないところが大半でしょう。

……今日。天下重事等重評議。離住所。向官軍。無左右上洛。如何可有思惟歟之由。有異議之故也。前大膳大夫入道云。上洛定後。依隔日。已又異議出來。令待武藏國軍勢之條。猶僻案也。於累日時者。雖武藏國衆漸廻案。定可有變心也。只今夜中。武州雖一身。被揚鞭者。東士悉可如雲之從竜者。京兆殊甘心。但大夫属入道善信爲宿老。此程老病危急之間籠居。二品招之示合。善信云。關東安否。此時至極訖。擬廻群議者。凡慮之所覃。而發遣軍兵於京都事。尤遮幾之處。經日數之條。頗可謂懈緩。大將軍一人者先可被進發歟者。京兆云。兩議一揆。何非冥助乎。早可進發之由。示付武州。仍武州今夜門出。宿于藤澤左衛門尉淸親稻瀬河宅云々。

※『吾妻鏡』承久3年(1221年)5月21日条

「いつになったら出陣するのだ!」

ここにきて、広元がキレました。決して歳をとって気が短くなったからだけではないはずです。

「上洛すると決めたのだから、さっさと行け。ダラダラしているせいで、決意の鈍るヤツが出始めておるぞ。武蔵国の軍勢など待っているんじゃない。武州(泰時)殿一人でも出陣すれば、軍勢など雲が龍に従うごとく集まってくるものだ」

総大将たるもの、部下の事情や顔色などうかがうな。自分がどこへ行こうと部下がついてくるように振る舞わねばなりません。

鎌倉の一大事に、臥せってなんていられない(イメージ)

そこへ今度は、三善康信(演:小林隆。大夫属入道)がやって来ました。このところ病が重く(※)今にも死にそうでしたが、鎌倉の一大事を前に、悠長なことは言っていられません。

(※)大河ドラマでは政子の傍らで座っていましたが、実際には病床に臥せっていました。

「ゴホゲホ……関東の安否はそなたらにかかっている。熟慮すべきことは当然ながら、今は一刻も早く出陣すべきです。軍勢が揃ったらなどと言ってないで、大将軍(ここでは泰時)一人でも出陣されよ!」

命懸けの訴えに心打たれた義時は、広元と康信の意見が一致したことを吉兆ととらえ、ただちに泰時を出発させました。

……とは言えもう夜も遅かったので、鎌倉の市中をちょっと出た稲瀬川のほとりに一泊させます。

それでも出陣は出陣。明日(5月22日)になると日取りが悪かったのと、「それではまた明日」などと言ったら爺さん二人が激怒しそうだったので、このような処置をとりました。

多大な犠牲を払った宇治川の死闘

さて、こうして鎌倉を出発した俺たちの泰時は東海道を進撃。道中で続々と味方が集まり、その数なんと十万余騎に膨れ上がります。

一方、日本海側の北陸道を北条朝時(演:西本たける)が攻め上がり、こちらは五万余騎。本州真ん中の東山道ルートからは武田信光(たけだ のぶみつ。武田信義の子)が四万余騎を率いて突き進みます。

一方の朝廷では鎌倉方が攻めてくると聞いて大慌て。押松(演:矢柴俊博)の報告により、急ぎ防戦体制を定めました。

各地で激戦が繰り広げられた中、泰時たちは宇治川に到達。ここを越えれば勝利は確実です。

「かかれ!」

川を挟んで、両軍の死闘が繰り広げられた。『承久記絵巻』より

泰時の号令一下、芝田兼義(しばた かねよし)・春日貞幸(かすが さだゆき)・佐々木信綱(ささき のぶつな)・中山重継(なかやま しげつぐ)・安東忠家(あんどう ただいえ)らが渡河を敢行。

降りしきる矢の雨と濁流にもまれながら、なかなか渡れず十人中三人は溺死するという有り様。

後から続いた関政綱(せき まさつな)・幸島行時(ゆきしま ゆきとき)・伊佐大進太郎(いさ だいじょうたろう)・三善康知(みよし やすとも)・長江明義(ながえ あきよし)・安保実光ら96名と、彼らに従っていた兵八百ばかりが溺死してしまいました。

「このままでは埒が明かない。太郎(時氏)よ、ただちに加勢せよ!」

泰時の命を受けて嫡男の北条時氏(ときうじ)は佐久間家村(さくま いえむら)・南条時員(なんじょう ときかず)らを率いて宇治川に挑みます。いても立ってもいられず三浦泰村(みうら やすむら。三浦義村の嫡男)も続いて渡河を開始。

「こうしてはおれぬ!」

味方の劣勢を救おうと泰時も立ち上がり、急いで宇治川を渡ろうと馬に乗ったところ、春日貞幸(川で溺れかけ、一時撤退していた)がこれを引き留めます。

「鎧を着たまま川に入れば溺れてしまいます。渡るなら鎧をお脱ぎ下され」

「そうか」

仕方なく泰時が鎧を脱いでいる内に、貞幸が馬を隠してしまったので、泰時は仕方なく留まりました。

「あ、太郎殿が川を渡ったようです!」

敵前上陸を果たさんとする佐々木信綱(イメージ)

向こう岸を見れば北条時氏が佐々木信綱と同時に敵前上陸に成功。芝田兼義らも続々と濁流から這い上がります。

「筏(いかだ)の支度ができました。さぁ、こちらへ!」

尾藤景綱(びとう かげつな)や平出弥三郎(ひらいで やさぶろう)らに命じておいた筏は、近隣の民家を取り壊した廃材でつくったもの。これによって本隊が宇治川を渡ります。

こうなったら勝負あり。官軍の大将を務める源有雅(みなもとの ありまさ。二位兵衛督)・源範茂(のりもち。宰相中将)・安達親長(あだち ちかなが。源左衛門尉)らはもはや防ぐ手立てもなく逃げ出しました。

しかし敗軍にも気骨の士はあるもので、葉室朝俊(はむろ ともとし)・八田知尚(はった ともひさ。八田知家の子)・佐々木高重(ささき たかしげ)・小野成時(おの なりとき)らは最期まで徹底抗戦。みごと玉砕したということです。

官軍の敗北、泰時に院宣下る

一方、瀬田大橋では北条時房らの軍勢が大江親広(おおえ ちかひろ。広元の子)・藤原秀康(演:星智也)・小野盛綱(おの もりつな)・三浦胤義(演:岸田タツヤ)を撃破。敗れた官軍は這々のていで京都洛中へ逃げ帰ります。

「陛下、どうか門をお開け下され!」

御所の門を叩いた秀康たち。しかし後鳥羽上皇(演:尾上松也)はこれを拒否しました。

……院宣には男共御所に籠らば、鎌倉の武者共打圍て、我を攻ん事の口惜ければ、只今はとくとく何くへも引退けと、心弱仰下されければ、胤義是を承て、翔・重定に向て申けるは、口惜ましましける君の御心哉、かヽりける君にかたらはれまいらせて、謀反を起しける胤義こそ哀れなる……

※『承久記』巻下「後鳥羽上皇武士ニ退去ヲ命ジ給フ」
※読みやすさのため、カタカナを平仮名に直しています。

【意訳】「そなたたちが御所に立て籠もれば、鎌倉の連中が朕を攻めるであろう。それは悔しくてならない。もはやそなたたちにしてやれることはない。すぐに逃げよ」と弱気な仰せ。胤義がこれを山田重定(重忠)は「何ということだ。陛下の気まぐれを真に受けて挙兵した胤義が気の毒でならない」と憤った。

後鳥羽上皇に見捨てられた武士たち(イメージ)

もはや勝算も大義名分も失い、それぞれの最期を遂げようと離散していきました。

「さて、鎌倉の連中を鎮めねばならぬ」

明けて6月15日、泰時の元へ後鳥羽上皇からの院宣が届きます。

勅使「院宣である」

泰時「誰か、読める者はおらぬか?」

日常会話ならともかく、格式の高い文書に慣れていない東国武士たちは戸惑いました。

「そうだ、武蔵国の藤田殿なら読めるはず。アイツは文博士(ふみはかせ。ここではインテリ程度の意)だからな」

指名された藤田能国(ふじた よしくに)は院宣を読み上げる大役を果たします。

院宣は「今回の件は、叡慮(えいりょ。ここでは後鳥羽上皇の意思)によらず、愚かな近臣らの暴走である。よってそなたたちが望む通り命令を下そう。また京都洛中の治安維持を任せる(意訳)」とのこと。

ここに完全勝利が確定した泰時は、午前10:00ごろに六波羅入り。藤原秀康は逃亡し、三浦胤義は東寺に立て籠もって戦った後、西山の木嶋(現:木嶋坐天照御魂神社。京都市右京区)で自害しました。

京都洛中は大混乱に陥り、これで85代にわたり続いてきた皇室もこれでおしまいだ……そう嘆かぬ者はなかったと言います。

決戦の後で

かくして承久の乱における戦闘は終結。後鳥羽上皇はじめ首謀者に対する処罰が行われました。

どうしてこんな事に……後悔しても遅いのである(イメージ)

【皇族】

後鳥羽上皇(第82代)……隠岐島へ配流 順徳上皇(後鳥羽上皇の皇子。第84代)……佐渡島へ配流 土御門上皇(同。第83代)……土佐国へ自主的に配流
※挙兵には反対=無関係だったので不問に処されたが「父が苦しんでいるのに、自分だけ京都に留まれない」と申し出る。後に阿波国へ遷幸 雅成親王(同)……但馬国(兵庫県北部)へ配流 頼仁親王(同)……備前国(岡山県東部)へ配流 仲恭天皇(順徳上皇の子。第85代)……廃位(九条廃帝と呼ばれ、仲恭天皇の贈諡は明治時代以降)

【公卿】

一条信能(いちじょう のぶよし)……処刑 葉室光親(はむろ みつちか)……処刑 源有雅……処刑 葉室宗行(むねゆき)……処刑 源範茂……処刑
坊門忠信(ぼうもん ただのぶ)……越後国へ配流(坊門姫の嘆願により処刑を免れる)
など。

【武士】

藤原秀康……逃亡先で捕らわれ処刑 藤原秀澄(ひでずみ。秀康の弟)……同じく 大江親広……逃亡(その後、帰参) 五条有範(ごじょう ありのり)………処刑 加藤光員(かとう みつかず)……所領没収 佐々木広綱(ささき ひろつな)……処刑
など。討死および逃亡した者は除く。

……そして第86代の天皇陛下には茂仁王(とよひとおう)が即位(後堀河天皇)、後鳥羽上皇の甥に当たります。皇統が断絶しなくて何よりです。

後堀河天皇(画像:Wikipedia)

以後、鎌倉幕府は京都に六波羅探題を設置し、朝廷を監視下におくようになりました。これで源頼朝(演:大泉洋)が鎌倉に拓いた武士の世が盤石のものとなり、義時は安心して泰時に跡を託せたことでしょう。

終わりに

以上、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のクライマックスである承久の乱をごく駆け足で紹介してきました。

義時の死をもって物語は終わりますが、伊豆の片田舎に住んでいた土豪の子倅が、随分遠くまでやってきたものです。

嫁き遅れだった姉と皮肉っぽい妹、そして愛嬌勝負の弟たちと歩んできた義時は、果たしてどんな最期を迎えるのでしょうか。

次回予告で久しぶりに顔を見せた“りく(演:宮沢りえ。牧の方)”、そして運慶(演:相島一之)に依頼していた邪神z……もとい神仏と一体になった義時像の出来栄えなど、様々な伏線が回収されるであろう最終回。

最期の最後まで、目が離せませんね!

※参考文献:

五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡8 承久の乱』吉川弘文館、2010年4月 三谷幸喜『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 完結編』NHK出版、2022年10月

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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