守り本尊とその源流である十三仏信仰が日本人に与えた影響とは (2/2ページ)

心に残る家族葬


仏教を受容するまで日本人の死後観は曖昧なものだった。日本神話に登場する「黄泉の国」などにかろうじて見いだせる程度で、具体的な世界はなかった。そこに魂や宇宙などを精密な理論で語る仏教が登場した。日本人は現実的なあの世を手にしたのである。
しかし十三仏という組み合わせ自体は仏典に見出すことはできない。民間信仰のひとつである。一説には中国に伝わる「十王」信仰が元になっていると言われている。十王は十人から成る地獄の裁判官といったところである。民衆の間には、仏教によって極楽信仰と対となる形で死後、地獄に落ちる恐怖も根付いた。やがて十王は実は仏であるとされるようになり、後に三仏が加わって十三仏となったという。この流れは八百万の神々が実は仏の化身であるとする本地垂迹説に似ている(天照大神は大日如来など)。民衆は地獄行きを逃れたいために十王を信仰した。そして恐るべき地獄の王たちが仏の化身であると考えられると、これを信仰することで地獄行きを避け、一転して極楽往生への道も望めるようになったのである。

■民衆の守護仏へ

十三仏の守護は三十三回忌の虚空蔵菩薩まで続く。十三仏を深く信仰することで、故人の死後も極楽往生するまで面倒を見てくれるというわけである。その一方で十三仏は生前に自分自身の供養をしておくことで、死後の往生が約束されるという「逆修」の本尊でもある。現代でも生前に法名・戒名を頂いたり初七日を行う人は少なくない。死後生が今より遥かにリアルだった時代、十三仏を供養して功徳を得て、極楽往生を期待したのである。故人のそして自分自身の死後に向けた守護仏への切なる信仰が、日常の生活においても反映され、現世利益的な要請から守り本尊として崇められることになったのではないだろうか。

十三仏と守り本尊は正統的な仏典にあたっても見いだせない民間信仰だが、民衆にとっては「空」「悟り」といった精密な思想より、日常を少しでも安楽に生きることと、死後の極楽往生こそが重要だった。それは現代の私たちも変わらない。

■自分だけの守り本尊

自分の守り本尊を調べると「私は〇〇如来なのか」「〇〇菩薩なんだな」などと親しみが湧いてくる。また先程も触れたように来年は卯年で文殊菩薩が守護する年である。今年寅年の虚空蔵菩薩は学問的な叡智を司り、文殊菩薩は生活の智慧といった分野が得意である。こうした知識があれば観光で寺院を訪れる際にも楽しくなるし、功徳を得ることもできるかもしれない。

■参考資料

■宮坂宥洪「十三仏信仰の意義」『現代密教』 第23号 智山伝法院(2012)
■川勝政太郎「十三仏の史的展開」『大手前女子大学論集』第3号 大手前女子大学(1969)

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