沖縄の戦国「三山時代」!尚氏の歩んだ琉球統一までの険しい道のり【後編】 (1/2ページ)
Japaaan読者の皆さんこんにちは。ライターの小山桜子です。前回は沖縄にも戦国時代のように群雄割拠のアツいバトルが繰り広げられた「三山時代」が存在していた事をご紹介しました。
沖縄の戦国「三山時代」!尚氏の歩んだ琉球統一までの険しい道のり【前編】今回も前編に引き続き沖縄の戦国時代とも呼べる「三山時代」、尚氏による琉球王国統一までの歴史についてご紹介します。
ついに北山制覇
琉球統一の第一歩として北山王国を攻めた連合軍は天然要塞の今帰仁城攻めに非常に苦心し、3日経っても落とせなかったため危機感を覚え、尚巴志の右腕、中城按司の護佐丸の計略に従って別の手に出ます。
「北山の内部から崩す」。護佐丸は攀安知の右腕である臣下の本部平原(もとぶていはら)に密偵を送り、賄賂を渡し、裏切るようにけしかけたのです。
こうして策略通り今帰仁城は内側から崩れ、攀安知は自害。北山王国はついに攻め滅ぼされ、攀安知に代わって尚巴志王の次男尚忠が北山監守(看守)に就きました。
策略が功を奏した南山攻め尚巴志は、1421年に父の尚思紹王が薨去すると1422年に中山王に即位。尚巴志王となります。
残された課題は南山。
