庶民に寄り添い親しまれている観音さまこと観音菩薩と観音経

心に残る家族葬

庶民に寄り添い親しまれている観音さまこと観音菩薩と観音経

数多い仏教の仏神の中で「お地蔵さま」こと地蔵菩薩と並び、最も人気があり庶民に親しまれている仏が「観音さま」こと観音菩薩である。慈悲に満ちた穏やかな表情、「南無観世音菩薩」と観音菩薩の名を一心に称えることで功徳を頂くことができるなど、観音さまは迷える人たちの心の支えとなってきた。

■観音菩薩とは

観音菩薩の「菩薩」とは悟りを開いた最高位の仏様「如来」の候補生として修行中の身である。如来の弟子としての観音菩薩は阿弥陀如来の脇侍として登場することが多い。有名な阿弥陀三尊像は阿弥陀如来の両脇に普賢菩薩と観音菩薩が仕えている。臨終の際に阿弥陀如来が迎えに来る様子を描いた「来迎図」にも阿弥陀如来が両脇に従えているのは普賢・観音菩薩である。

観音菩薩は元々は正法明如来という如来だった。しかし如来という高い位置からでは迷える衆生を救うことができない。観音はより人間に近い菩薩となり、娑婆へ降り立ったという慈悲の仏である。その慈悲にすがりたいと願う人たちの間で観音信仰が盛んになった。

一般的に観音菩薩は女性だとされることが多い。本来如来や菩薩に性別はないはずだが、観音像に女性を感じさせるのは、慈愛や優しさの現れでだろう。「お地蔵さま」と並び親しまれる理由のひとつである。一方で例えば群馬県高崎市の「白衣観音像」には「女性」である観音さまがヤキモチを焼くので、カップルが行くと別れさせられるというジンクスがある。群馬県のご当地かるた「上毛かるた」の「ひ」の札には「白衣観音慈悲の御手」とあるのだが。観音のこのような人間的な謂れも、衆生の観音への親しみの裏返しといえるのかもしれない。宇宙の真理そのものを現しているという大日如来がヤキモチを焼く姿はあまり想像できない。

■変幻自在の観音さま

観音菩薩といってもその姿は様々だ。全国各地に「〇〇観音」が存在し、「観音経」では観音菩薩が三十三の姿になって現れる。三十三観音、三十三間堂などはこれに由来し、全国には秩父三十四箇所や西国三十三所などの観音霊場があり巡礼が行われている。特に知られている「聖観音」「千手観音」「如意輪観音」などの六観音は、死後に生まれ変わる六つの世界「六道」のそれぞれに応じた形で救いに現れるという。地獄道に聖観音、餓鬼道には千手観音という具合に、観音さまは輪廻のあらゆる世界に相応しい姿となり、自在に対応してそれぞれに転生した者の魂を救うのである。三蔵法師玄奘(602〜664)は観音菩薩を「観自在菩薩」と訳しているが、自由自在に浄土と穢土を行き来し、その時に応じた姿に変えて衆生を救ってくれる様子が表現されている。

■霊験あらたかな「観音経」

「観音経」は観音菩薩の功徳を説く経典である。独立した経典ではなく諸経の王と言われた「法華経」に含まれている。法華経は48章から成り立っていて観音経は25章にあたり「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」というタイトルが付いている。「品」とは「章」のことで、「普門」とは広い門。狭き門ではなく、あらゆる方向から入ることのできる「普く」(あまねく)広き門という意味で、難解とされる法華経の普及版の役割を担っている。そうした役割を法華経に登場する様々な如来や菩薩ではなく、観音が担っているのも、学の無い衆生に寄り添う優しさ故ではないだろうか。

そうしたこともあってか観音経は法華経の一部であることを超え、庶民の間で非常に親しまれてきた。「般若心経」に次ぐ人気があるといえる。般若心経がそうであったように観音経も霊験あらたかなお経だとされ、人々はそのご利益に授かろうとした。観音経を読誦すればどのような災難も逃れることができると言われ、般若心経がそうであるように観音経にも様々な不思議譚が伝わっている。

■延命十句観音経

「延命十句観音経」はわずか42字から成る経文。読誦すれば病は平癒し、寿命は延びるという。起源は諸説あるが、日本では臨済宗の白隠慧鶴(1686 〜1769)が「延命十句観音経霊験記」を著し読誦を勧めた。それには重篤の病人が治癒した話から、死者が復活した話まで記されている。正統な仏教経典ではない偽経であることは確実とされているものの、庶民にとってお経の真偽などはどうでもよいことである。白隠禅師は観音菩薩の優れた救いの力を、高尚な悟りの教えに匹敵するほど重要なものだと考えた。観音経は臨済宗、曹洞宗などの葬儀でよくあげられる。禅宗にとって葬儀とは死者を悟りに導く場であり、白隠禅師は観音経を通じて悟りと救いを一体にしたといえる。

■衆生に寄り添う観音さま

観音経も延命十句観音経も観音像の前で唱えればさらに良いとされる。こうして観音菩薩を祀る寺院、お堂、霊場などは全国に広まり、まさに観音は観音の意思通り、娑婆の隅々にまで降り立った。現代でも自分が悟ることより衆生を救う道を選んだ慈悲の菩薩、観音さま、観音像は人々に親しまれている。

■参考資料

鎌田茂雄「観音経講話」講談社(1991)

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