『どうする家康』で大注目!性生活、食事…平均寿命40歳前後の時代で、徳川家康が生涯現役だったワケ (2/3ページ)

日刊大衆

晩年は、お六の方という20歳の側室を寵愛していたことも分かっています」(前出の歴史ライター)

 死ぬまで“現役バリバリ”だったというわけだ。今回は、そんな家康から“老いても健康”でいられる秘訣を学んでいこう。

■家康が「子孫繁栄」に成功した理由

 まずは、性生活から。「英雄、色を好む」とはよく言われるが、家康の場合は、少し事情が違うという。歴史家の加来耕三氏が言う。

「家康の側室は、みんな未亡人ばかりなんですが、実は家康は、なにより跡継ぎを残すことにこだわっていた。子どもをたくさん作れば、徳川家が安泰ですからね。だから、身分を問わず、健康で子どもを産んだ実績がある女性、つまり未亡人を選んでいたんです」

 多くの側室を持っていたのは、女性好きというより、「子孫繁栄」が大きな目的だったようだ。

「ちなみに、対照的なのが豊臣秀吉。彼は高貴な女性ばかりを側室に選んでいましたが、その結果、体の弱い人ばかりで、子宝に恵まれませんでした」(前同)

 家康が未亡人にこだわった理由は、もう一つある。

「加藤清正、浅野幸長ら同時期の武将たちが性病で命を落としていて、その多くが遊女と関係を持っていた。家康がすごいのは、ここから“遊女と関係を持つと感染するんだ”と予測したこと。だから、遊郭通いをせず、側室も安心できる未亡人で固めたんです」(同)

 堅実志向とも言える性生活だが、その一方で、家康は“性の指南書”を愛読していたという。

「家康は、1552年に医師の曲直瀬道三が、武将の松永久秀へ献上したとされる、性の指南書『黄素妙論』に影響されていたと考えられています」

 こう語るのは、『週刊大衆』連載でもおなじみ、歴史研究家の跡部蛮氏。

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