戦国時代の始まりは応仁の乱ではない!?「関東の三十年戦争」享徳の乱とは【後編】 (3/4ページ)
堀越公方が本拠地を置いた伊豆国堀越(現在の静岡県伊豆の国市)
そして、領地拡大を目指して分家が本家を乗っ取る騒動などが発生するようになりました。
当時は利根川を挟んで東側が旧来の鎌倉幕府以前からの勢力が多く、西側は小さな領主たちが連合する地域でした。
よって、独立志向の強い東側は古河公方に、反対に幕府に属することを望む西側は堀越公方に就くという図式になりました。
武士たちの離反、そして和睦室町幕府と、足利成氏との間で和睦が成立したのは1482年のことです。
最初は、関東の武士たちはもともとの主君である足利成氏の味方だったのですが、将軍の足利義政が、上杉側に就く態度を明確にし、なんと錦の御旗を上杉家に与えたのです。
言うまでもなく錦の御旗は、天皇が味方についたという証です。
それだけではなく、幕府は上杉家に牙旗(がき)と呼ばれる、将軍が味方につくという証まで与えました。
成氏は朝敵となってしまい、武士たちも離れていきました。
