戦国時代の始まりは応仁の乱ではない!?「関東の三十年戦争」享徳の乱とは【後編】 (1/4ページ)

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戦国時代の始まりは応仁の乱ではない!?「関東の三十年戦争」享徳の乱とは【後編】

戦乱へ突入する関東地方

【前編】では、鎌倉公方の足利家と、その部下にあたる関東管領の上杉家が、仇討ち合戦を起こしたことで享徳の乱が始まるまでの経緯を説明しました。

戦国時代の始まりは応仁の乱ではない!?「関東の三十年戦争」享徳の乱とは【前編】

さて、鎌倉公方・足利成氏によって関東管領・上杉憲忠が暗殺されたところまで【前編】で見てきましたが、1455年、新しい関東管領となった上杉房顕とその従妹の房定の二人は、憲忠の敵を討つために挙兵します。

戦乱が始まり、室町幕府は上杉方を支援しようとしますが、もたついている間に足利は上杉軍が立てこもる城を落城。さらに転戦して下総の古河城に入りましたが、ここで隙ができてしまい、手薄になっていた本拠地の鎌倉を上杉に占拠されてしまいます。

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