天下人・徳川家康を支えた重臣たち!「徳川四天王」を一挙ご紹介【どうする家康】 (2/6ページ)

Japaaan

徳川家康/Wikipediaより

また、忠次は徳川家中の人間関係の調整も行っていました。

武田家滅亡後、忠次は家康が徳川四天王の井伊直政に武田家遺臣を家臣につけることを賛成します。しかし、同じく四天王の榊原康政は大反対。悪態をつきながら、激怒していました。

この様子に忠次は「主君の意見に反対するのか?今後そのような態度を取るならば、一族串刺しにするぞ」と叱りつけました。忠次の言葉に康政は、何も言えなくなったそうです。

まさに忠次は、徳川家に無くてはならない存在でした。そして家康を支え、家臣をまとめた忠次は慶長元年(1596)に病没。70歳で生涯を終えました。

文武両道の士・榊原康政

榊原康政/Wikipediaより

2人目は、徳川三傑に数えらえた榊原康政です。

康政は、13歳の頃から家康に仕え、初陣は永禄6年(1563)の三河一向一揆でした。この戦いでの武功から、家康から「康」の字を貰っています。

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