「どうする家康」ついに覚醒?した元康、堂々の岡崎入り!第2回放送「兎と狼」振り返り

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「どうする家康」ついに覚醒?した元康、堂々の岡崎入り!第2回放送「兎と狼」振り返り

「わしは寅の年、寅の日、寅の刻に生まれた武神の生まれ変わりじゃ!そなたたちは、このわしが守るんじゃ!」

そう言い放って敵中を悠然と突っ切り、故郷の岡崎城へ堂々の帰還を果たした松平元康(演:松本潤)。一度は譜代の家臣たちと喧嘩別れしかけたものの、雨降って地固まると言ったところでしょうか。

さてNHK大河ドラマ「どうする家康」、第2回放送のサブタイトルは「兎と狼」。地獄のように穢れた現世を、浄土に変える闘いが始まったのでした。

寅年か?卯年か?元康(竹千代)の生年について

「兎などいけませぬ。狼に狩られてしまいます」

そう言ったのは元康の母・於大の方(演:松嶋菜々子)。本当は年が明けて卯年生まれだけど、寅の年・寅の日・寅の刻という「三寅」に生まれたことにしたようです。

竹千代生母・於大の方。楞厳寺 蔵

徳川家康(元康、竹千代)の生年月日は天文11年12月26日(1543年1月31日)。暦の新旧によりズレがあるため、現代の太陽暦では卯年に相当します。

ただし、あくまで家康の生年は天文11年。12月いっぱいまで同じ年ですから、太陽暦に関係なく家康は寅年生まれです。

ではなぜ「実は卯年(だけど、表向きは強そうで縁起のよい寅年)」なんて設定を持ち出したのかと言えば、後に当の家康自身が慶長8年(1603年)付の願文に「六十一歳癸卯(みずのとのう)」と書いたことがあるため。

癸卯と言えば天文12年(1543年)、家康も神仏の前では本当の生年を打ち明けたのだろう、とする説が採用されたようです。

やれ武神の生まれ変わり(寅年生まれ)と強がってはいるけど、実は子兎のように臆病者……そういう演出でした。

ただ、弱々しく見える兎にも特性を活かした戦い方(生き抜き方)があるし、そういうしたたかさが戦国武将たちから愛されてきたことも忘れてはなりません。

ちなみに寅の刻とは午前4:00ごろ。12月から1月であれば、まだ夜も明けず真っ暗なはず。

寅の年はともかくとして、寅の日(26日)や寅の刻を謳うのであれば、その辺りの演出も抜かりなくお願いしたかったところです(「最初から、すべて嘘の設定だった」というのはさすがにどうかと思ってしまいます)。

さらに余談ながら、生まれて間もない竹千代のお披露目で「がおーがおー」とはしゃいでいた於大の方。さすがに出産直後ではないでしょうが、産後数週間以内であんなに元気な経産婦を見たことがないため、少し面食らってしまいました。

それと、父・松平広忠(演:飯田基裕)の影が薄いのもちょっと残念。その後に竹千代を待ち受ける運命とのギャップを引き立てるため「(家臣たちへの報告もそこそこに)父と母が竹千代に夢中、両親から惜しみない愛情が注がれた」演出が欲しかったと思います。

元康の首を狙う大草松平家について

大高城を出て、自分一人でも駿府へ帰ろうとしていた元康の元へ駆けつけた松平昌久(演:角田晃広)。

彼ら大草松平家は、これまで何度も元康たちの家(安祥松平家)に反抗し、裏切り続けてきました。

岡崎城。かつては大草松平家の居城だったのを、祖父・松平清康が奪取した経緯がある(イメージ)

かつて父・松平昌安(まさやす)が岡崎城を家康の祖父・松平清康(きよやす)に引き渡させられた過去もあり、何としてでも松平宗家の座を奪うべく元康の首を狙います。

いくら「今は松平同士でいがみ合うている場合ではない」とは言え、信じるに足る相手でないことは言うまでもありません。

平伏した向こうから鉄砲で一斉射撃。画面的には映えますが、果たしてそれだけの挺数と弾薬を揃えられたのか……そこはロマン重視、時代考証がどうとかそんな野暮は言いっこなしです(あくまでフィクションとして楽しみましょう)。

ちなみにこの昌久について『寛政重脩諸家譜』ではこう書いてありました。

某 七郎

永禄六年一向専修の門徒叛きまいらせし時、七郎も東條の吉良義昭にくみし、大草の手のものを率ゐて東條城にこもる。七年二月義昭没落して近江国にのがるヽに及び、七郎もまた逐電す。

※『寛政重脩諸家譜』巻第二十六 清和源氏(義家流)松平 大草

やがて勃発した三河一向一揆(永禄6・1563年)のドサクサで吉良義昭(きら よしあき)と共に叛旗を翻したものの、翌年に敗れて逃亡。そのまま行方不明となっています。

なお、孫の松平正親(まさちか)は清康の代から松平宗家に忠義を尽くし、桶狭間の合戦で討死。その子・松平康安(やすやす)は武功を重ねて旗本に出世しました。

忠勝の父と祖父について

「父は(家康の父)広忠様をお守りして死んだ。祖父は(家康の祖父)清康様をお守りして死んだ。俺のまことの望みは、お前を命を捨てる値打ちのある主君と仰ぎ、守ることだった」

本多平八郎忠勝。清親「三河大樹寺合戦」より

そんなことを言っていた本多忠勝(演:山田祐貴)。その言葉に我が身の不甲斐なさを感じながら、今度はわしがそなたらを守ると元康は覚醒します。

ところで実際のところはどうなのか、本多忠勝の父・本多忠高(ただたか)と、祖父・本多忠豊(ただとよ)の記録をひもといてみましょう。

……忠豊いさめたてまつりて一先御馬を施され、かさねて御本意をとげらるべし。されども敵大軍にしてたやすくしりぞきたまふことがたし。ねがはくば君にかはりたてまつらん。其ひまに御退陣あるべしとて敵軍に駈入、つゐに安城畷にをいてうち死す……

※『寛政重脩諸家譜』巻第六百八十一 藤原氏(兼通流)本多

本多忠豊は天文14年(1545年)、安祥城の合戦において敗走する松平広忠を逃がすため殿軍を務め、織田信秀(演:藤岡弘、)の大軍に立ち向かって討死しました。

……十八年三月十九日あかつきより織田信廣が籠れる安城の城をかこむ。忠高先登して、すでに乗入むとするのとき、城兵前島傳次郎某が矢に当て死す。年二十二……

※『寛政重脩諸家譜』巻第六百八十一 藤原氏(兼通流)本多

本多忠高は天文18年(1549年)3月19日、またしても安祥城を攻めた時、一番乗りを果たしました。が、敵の前島傳次郎(まえしま でんじろう)に射殺されてしまったと言います。

【大河ドラマ/史料の違い】

忠勝の祖父・本多忠豊
清康を守るために討死した/広忠を守るために討死した

忠勝の父・本多忠高
広忠を守るために討死した/単に討死した

しかし細部の違いこそあれ、父祖代々にわたり懸命の忠義を尽くしたことは確か。

幼い頃から育ててくれた叔父の本多忠真(演:波岡一喜)ともども、これからの大活躍に期待です。

厭離穢土欣求浄土について

菩提寺である大樹寺へ逃げ込み、一時は父祖の墓前で自害を考えた元康。

厭離穢土欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)。

穢れた土すなわち俗世を厭(いと)い離れ、浄(きよ)らかな土すなわち極楽を欣(よろこ)び求めよ。

榊原小平太(康政)。清親「三河大樹寺合戦」より

その意味を「あの世へ行け」と誤解する元康に指摘したのは榊原小平太(演:杉野遥亮)。やがて徳川四天王の一人と謳われる榊原康政。この飄々と小生意気な佇まいが嫌いじゃありません。

穢れた俗世を浄土に変える。その使命を果たせるのは武神の生まれ変わりである自分しかいない……かどうかはともかく、覇気を取り戻した元康。

寺を包囲していた松平昌久の軍勢を両断するごとく、威風堂々と岡崎城へ向かったのでした。

ちなみに、寺の伝承によると元康を説得して自害を思いとどまらせたのは住職の登譽上人(演:里見浩太朗)。今後も迷える子兎、もとい元康の師として、彼を教え導くキーパーソンとなるものと思われます。

ところで銃撃を受けて瀕死の鳥居忠吉(演:イッセー尾形)ら負傷兵は置いてってしまうのでしょうか。後から搬送するであろうものの、ちょっとそんなところが気になったのでした。

終わりに

さて、元康らが無事に岡崎入りしたと聞いて、駿府ではみな大喜び。今川氏真(演:溝端淳平)は急ぎ体制の立て直しを図りますが、果たしてどうなるでしょうか。

一方、甲斐国では武田信玄(演:阿部寛)が元康の存在を気にかけ、飯富昌景(演:橋本さとし。山縣昌景)に調査を命じていました。次回あたり接点がありそうですね。

登譽上人の教え「欣求浄土」の旗印を掲げ、元康の戦いが始まった。月岡芳年筆

次週第3回放送は「三河平定戦」。かつて祖父・松平清康が切り取った三河国を統一するべく、織田信長の盟友として今川と決別するのでしょう。

しかしそうなると駿府に残してきた愛妻の瀬名(演:有村架純。築山殿)らは無事ではすまないはず。果たして元康がどうするのか、その葛藤と決断が描かれるはずです。

更に水野信元(演:寺島進)や久松長家(演:リリー・フランキー)など新人物が続々登場、これから目が離せませんね。

※参考文献:

『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション 『寛政重脩諸家譜 第壹輯』国立国会図書館デジタルコレクション 『NHK大河ドラマ・ガイド どうする家康 前編』NHK出版、2023年1月

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