古代史の在野研究者が推察する「大和朝廷の成立と邪馬台国の関係」 (3/4ページ)

新刊JP

3世紀の半ばに魏帝国によって追われ韓半島から南九州に疎開した辰王朝の直裔が孝霊天皇であり、この孝霊天皇から崇神天皇までの4世代が、帥升王統と結託しつつ、3世紀後半の半世紀をかけて女王国をほぼ西から東へ侵略し、女王国の本丸、大和の邪馬台国を滅ぼし、磯城纒向に都を置き大和朝廷を樹立します。3世紀末から4世紀初頭のことです。以後、土着母系社会は、男王王権である天皇王権の被支配民となって時代を下ることとなります。

この父系父権的大和王権は、土着の母系母権的社会を丸抱えにしながら、父系王権を維持するための部民とし、巨大な前方後円墳という墳墓の築造に使役しながらその反抗の芽を摘み続けます。古墳時代とは基底庶民社会の長い停滞をもたらした時代でした。
この中で、皮肉なことに、丸抱えにされた基底庶民社会~母系母権社会もまた丸抱えにされたことによってその命脈を長らえることとなりました。

この母系制と父系制の相克の歴史は、日本古代史を貫く主題の一つです。人類起源史へと眺望を開くためにも、日本古代史は重要な視座を提供するものです。

――牧尾さんが取り組まれている古代史は、想像や推測が入りやすく、とても曖昧な中でいかに正しい場所へと近づいていくかという作業だと思います。古代史研究を進めていく上で、気を付けていることを教えてください。

牧尾:研究手法の大原則として重要なのは、たとえば物理学に典型的ですが、現象を広く、また詳細に俯瞰して、それらを矛盾なく説明できると考えられる仮設を立て、その仮説がそれら現象を矛盾なく説明でき、そしてここが大切ですが、第三者もまた多方面からその仮説を追試でき、矛盾がないと検証できることです。

この検証ができて、ようやくその仮説が真実らしいと認められます。歴史学も科学の一員となるためには同じ道程を歩まなければならないと思っています。仮説を立てて、その仮説で矛盾がないと考えられても、それを他者が追試できるよう、明確に記述しなければなりません。このことを念頭に置いて論じるように気を付けています。

年輪年代法のように、基礎データ部分をブラックボックスの中に置いたままのような手法はいけません。

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