近代の刑務所につながる特徴を持つ江戸時代の自立支援施設「人足寄場(にんそくよせば)」とは? (1/2ページ)

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近代の刑務所につながる特徴を持つ江戸時代の自立支援施設「人足寄場(にんそくよせば)」とは?

何らかの罪を犯してしまった人の社会復帰というのは、現代においても非常に重要なテーマではないでしょうか。職業訓練をはじめとしたさまざまなサポート体制については、実は江戸時代にその源流がありました。

そこで、今回の記事では、近代の刑務所につながる「人足寄場(にんそくよせば)」について詳しくご紹介したいと思います。

人足寄場とは?

正式名称を「加役方人足寄場(かやくかたにんそくよせば)」といい、略され「人足寄場」や「寄場」などと呼ばれました。

人足寄場は、無宿者(むしゅくしゃ:罪を犯したり、勘当されたりといった理由により、戸籍から外された人)や、引き取り人のいない刑余者を集めた自立支援施設です。

人足寄場は誰が、いつ、どこに作ったか?

人足寄場は、1790年に江戸幕府の老中・松平定信によって作られました。

松平定信

その前年に、『鬼平犯科帳』で知られる火付盗賊改方長官・長谷川宣以(長谷川平蔵)が松平定信にこういった施設を作ることを提言しています。

場所は、江戸石川島でした。その後は、常陸(ひたち)上郷村や長崎・箱館などにも設置されました。最終的に、人足寄場は明治維新によって廃止されるまで続きました。

なぜ人足寄場ができたのか?その背景とは

江戸時代には、無宿が多くいました。無宿であることが理由となり、まともな仕事につけないことも多く、その結果盗みなどを犯すことが多発しました。

そんな状況にさらに追い打ちをかけたのが、天明2~7年(1782~1787年)の「天明の大飢饉」。

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