近代の刑務所につながる特徴を持つ江戸時代の自立支援施設「人足寄場(にんそくよせば)」とは?

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近代の刑務所につながる特徴を持つ江戸時代の自立支援施設「人足寄場(にんそくよせば)」とは?

何らかの罪を犯してしまった人の社会復帰というのは、現代においても非常に重要なテーマではないでしょうか。職業訓練をはじめとしたさまざまなサポート体制については、実は江戸時代にその源流がありました。

そこで、今回の記事では、近代の刑務所につながる「人足寄場(にんそくよせば)」について詳しくご紹介したいと思います。

人足寄場とは?

正式名称を「加役方人足寄場(かやくかたにんそくよせば)」といい、略され「人足寄場」や「寄場」などと呼ばれました。

人足寄場は、無宿者(むしゅくしゃ:罪を犯したり、勘当されたりといった理由により、戸籍から外された人)や、引き取り人のいない刑余者を集めた自立支援施設です。

人足寄場は誰が、いつ、どこに作ったか?

人足寄場は、1790年に江戸幕府の老中・松平定信によって作られました。

松平定信

その前年に、『鬼平犯科帳』で知られる火付盗賊改方長官・長谷川宣以(長谷川平蔵)が松平定信にこういった施設を作ることを提言しています。

場所は、江戸石川島でした。その後は、常陸(ひたち)上郷村や長崎・箱館などにも設置されました。最終的に、人足寄場は明治維新によって廃止されるまで続きました。

なぜ人足寄場ができたのか?その背景とは

江戸時代には、無宿が多くいました。無宿であることが理由となり、まともな仕事につけないことも多く、その結果盗みなどを犯すことが多発しました。

そんな状況にさらに追い打ちをかけたのが、天明2~7年(1782~1787年)の「天明の大飢饉」。食糧危機が発生し、物の集まる江戸に多くの人が押し寄せました。

これにより、さらに盗みが深刻化したり、暖を取るために焚いた火から火事が発生したりと、治安はどんどん悪くなっていきました。

この状況をなんとか打開しようと取られた対策が、人足寄場の設置でした。

職業訓練や教育も

人足寄場では、収容者に大工、建具製作、塗物、紙すきや米つきといった職業訓練を受けさせました。仕事には賃金も発生し、一定の金額に達したら釈放されるという仕組みがありました。

また、釈放され、就職する際には、資金援助や職人道具の贈与など、細やかなサポートも。

さらに、職業訓練だけでなく、二度と犯罪を犯さないようにと、教育も施されました。「心学(当時、庶民に対して心の持ちようなどをたとえ話を使ってわかりやすく説明したもの)」を学ぶ時間もあり、有名な心学者が講師となって講和をおこなったようです。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです!

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