ザ・北政所(きたのまんどころ)!豊臣秀吉の妻・高台院の敏腕政治家ぶりと影響力 (2/3ページ)

Japaaan

つまり信長が気にかけるほど、高台院は影響力のある人物だったのです。

岐阜駅前の織田信長像

当時の日本の様子を記録した宣教師ルイス・フロイスも、高台院を人格者と称え、彼女の影響力の強さを自著に記しています。

そして1585年に秀吉が関白になったことで、高台院は北政所の位を授かります。

信長をはじめとする多くの大名たちは、なぜそこまで高台院を強く気にしていたのでしょうか。実は秀吉の正室という立場以外の理由がありました。彼女は秀吉と共に政治を取り仕切っていたのです。

その仕事ぶりと晩年

高台院が行っていた政務の一つには、朝廷との交渉があったといいます。

また当時、大名の妻子は実質的な人質として大阪で暮らしていましたが、彼らの暮らしや動向に目を配っておくのも高台院の仕事の一つでした。

さらに朝鮮出兵では物流に関する指揮にも携わっていて、秀吉の朱印状だけでなく高台院の「黒印状」が必要な場所もあったようです。

このように彼女は豊臣家の政治に深く関わっていたため、秀吉の死後もその影響力はかなりのものでした。あの徳川家康も、彼女を頼ったことがあるようです。

ちなみに彼女と秀吉との間に子はありませんでしたが、側室の淀殿とその息子である秀頼の後見を務めています。

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