ザ・北政所(きたのまんどころ)!豊臣秀吉の妻・高台院の敏腕政治家ぶりと影響力 (3/3ページ)
高台院本人は、秀吉逝去後は政治的に中立の立場を保つことを心がけていました。もちろん、いくら中立と言っても豊臣側の人間であるため、関ヶ原の戦いでは少し危うい立場に立たされますが、その後は出家して高台院湖月心尼の院号を賜ります。
1615年の大阪の陣で豊臣家が滅亡した後も、彼女と江戸幕府との関係は良好だったようです。
高台院は豊臣の滅亡と新時代の幕開けを見守りながら、1624年に死去。その享年は76歳であったとも、83歳であったとも言われています。
参考資料
月刊女性誌「アー・ユー・ハッピー?」公式サイト
戦国ヒストリー
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日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan