竹千代はいかにして徳川家康となったのか?名前の変遷をまとめて紹介!【どうする家康】 (3/4ページ)

Japaaan

……   君ことし御名を   家康とあらため給ふ。(永禄四年十月の御書に   元康とあそさばされ(※あそばされ?原文ママ)。五年八月廿一日の御書には家康とみゆ。)……

※『東照宮御實紀』巻二「永禄五年元康改名家康」

正確な時期は不明ながら、永禄5年(1562年)に入ってから8月21日までの間に改名したと考えられます。

ちなみに、久松長家はこれを機に久松俊勝(ひさまつ としかつ)と改名。主君の頭文字を踏みつけることを遠慮したのでした。

徳川家康(24ごろ~死去74歳)

徳川家康公。月岡芳年筆

家康が徳川に改姓したのは永禄9年(1566年)ごろ。朝廷より三河守に任じられる都合上、藤原氏の流れをくむ徳川(得川)を称したと言います(諸説あり)。

この努力(改竄?)が功を奏して同年12月29日、朝廷より三河守を叙任され、名実ともに三河一国の主となったのでした。

終わりに

そして元和2年(1616年)4月17日、駿府城で波乱の生涯に幕を下ろした家康。その英霊は神とあがめられ、翌元和3年(1617年)2月21日に朝廷から東照大権現の神号を賜わります。

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