鬼神を操った飛鳥時代の呪術師!?“修験道の祖”役小角の超能力伝説 (2/3ページ)

日刊大衆

 一方、修験者は大峰山や吉野山、熊野などを霊場とし、鎌倉時代になると、それぞれの山岳ごとに規範となる優れた修験者として小角を共通の開祖と仰ぐようになった。

 そうして山岳霊場ごとの伝記が体系化され、戦国時代に前述した『役行者本記』などの教典が誕生。同書で小角が箕面から関東、北陸の諸山で修行するのは、諸山共通の祖として小角を定めていたからだ。

 つまり、一般の宗教ではまず教祖がいて、その考えが広がっていくという流れになるのに対し、修験道では逆に修験者たちが理想とする教祖像が後づけで“創られた”形だ。

 そして、江戸時代の寛政一一年(1799)、朝廷から小角に「神変大菩薩」という諡号が贈られ、画像や彫刻が数多く制作された。

 僧衣に袈裟姿で長い髭を蓄えて手に錫杖を持ち、高下駄を履いて岩に腰掛け、斧を持つ前鬼と棒を持つ後鬼を従える――こうして役小角という超能力者像が完成するのだ。

 では、彼が架空の人物なのかというと、そうではない。平安時代の初めに書かれた『日本霊異記』に登場する。ただし、同書は仏教説話集だから史実を伝えているとは考えにくく、現代の科学からは想像もできない話が描かれている。

 同書で小角は鬼を使役して葛城山と金峰山に石橋を架けさせようとし、一言主神が人に憑依して小角を文武天皇に讒言する話が出てくる。『役行者本記』の話の元ネタだ。しかも彼は伊豆大島に流されたあと、海を歩いて渡るだけではなく、赦免後、仙人となって空を飛んだことになっている。

 修験道は呪術的能力で現世利益を実現しようとする以上、その開祖は超能力者であることが望ましい。

 従って、その後の小角伝説のルーツがこの『日本霊異記』にあるのは確かだが、さらに遡ると、『続日本紀』にも彼が登場する。

 この書は、『日本書紀』に続く勅撰の歴史書。平安遷都から間もない延暦一六年(797)に完成した。

 そこに、彼が飛鳥時代の文武天皇三年(699)五月二四日、伊豆(大)島に流されたと記されている。

 掲載元が勅撰の歴史書なのだから、小角が実在の人物であるのは確かで、また、伊豆大島に配流されたのも歴史的事実と考えられる。

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