鬼神を操った飛鳥時代の呪術師!?“修験道の祖”役小角の超能力伝説 (1/3ページ)

日刊大衆

写真はイメージです
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 飛鳥時代に役行者という超能力者がいた。役優婆塞とも呼ばれ、「小角」という名も伝わっている(以下、小角と表記する)。

 まずは、戦国時代に書かれたとされる『役行者本記』から彼の生涯を要約してみよう。

 小角は大和国葛城地方を本拠とした古代の豪族・賀茂氏の一族で、舒明天皇六年(634)一月一日に葛上郡茅原郷(奈良県御ご所せ市)で生まれた。

 一三歳の頃より葛城山中で修行し、箕面山(大阪府)や笠置山(京都府)、さらには大峰山(奈良県)、吉野山(同)の他、東北や関東、北陸の諸山でも足跡を残したという。

 そして、ここからは眉に唾して読んでいただきたいが、六二歳のとき、彼は地元葛城の神様である一言主神に葛城山から金峰山(吉野山)まで岩橋を架け、金剛蔵王権現に仕えるよう命じた。

 しかし、一言主神は姿が醜いという理由で命を拒み、小角はその一言主神の讒言によって伊豆大島に流されてしまう。

 小角は昼間こそ禁を守っていたが、夜になると自由に出歩いて修行していたため、ついに処刑されることになった。ところが、小角が刑吏の刀を舐めると鉛のようになって使い物にならなくなり、彼が都に帰って、そんな不思議な事象を天皇に報告したため、罪を許されたという。

 小角は自分を讒訴した一言主神を呪縛し、黒蛇に変えて葛城の谷に投じ、その後、六八歳のときに箕面で死没した。この間、彼が海を歩いて渡ることなどが書かれている。

 以上の伝記は、どこからどこまでが事実なのだろうか。もちろん、人が海を歩いて渡れるはずがないし、神様に橋を架けさせる話そのものが紛れもない嘘。まして神様を呪縛して黒蛇に変えるというのは言語道断。いったい彼は何者なのか。

 まず、小角が修験道の祖とされるところが重要。修験道というのは日本古来の山岳信仰に仏教や道教、さらには神道の教義を加えて平安時代の終わり頃に確立した宗教のこと。

 山岳修行によって呪術的な能力(病気治療、降雨、豊作などの現世利益の実現)を得ようとする修験者(山伏)たちの行動が

「道」として確立されると、彼らが理想とする修験者像が求められるようになった。

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